自己肯定感に悩む人を多く生む現在が世知辛い訳 時代の要請というよりゲームの初期設定のように

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実際、参加者同士が強い結びつきを感じることがわかっている。マクゴニガルはこれを「社会的グルーミング」になぞらえた。前出のハーツも、アメリカのフィットネスクラブが教会に代わるコミュニティになっているという研究者の主張を重視し、やはり人々の親交を促す身体同調を主体としたプログラムが生理的・心理的恩恵をもたらす点を評価した。

これらは市場化されたコミュニティをむしろ自己肯定感を育むための居場所の1つとして賢く活用している好例といえるが、いずれにしても、ここにおいても試行錯誤を含む自助努力が必須とされていることに注意したい。

自己肯定感、自尊心の手当てすら自己責任の時代

恐るべきことではあるが、自己肯定感がクローズアップされる時代とは、その必要条件である他者からの承認が安定的に得られないにもかかわらず、自助努力でメンタルをケアせよ、強化せよという掛け声だけが大きくなっている近年の趨勢を、いわば自己啓発的な文脈によって再発見しているにすぎないのである。自己肯定感、自尊心を自己の責任において手当てしなければならない――もはやこれは時代の要請というよりゲームの初期設定になりつつある。

感情を適切にコントロールできること、相手に気遣いができること、メンタルタフネス(強い精神力)を持つことといった、諸々のヒューマンスキルが生涯学習や学び直しの対象として総合されるのである。

気をつけなければならないのは、わたしたちの生きている社会経済システム自体が、自己肯定感を支えるリソースを脆弱にする副作用を伴うことだ。シャッター商店街とショッピングモールという対照的な風景が示すように、人々の尊厳に関わるコミュニケーションの空間の構築よりも、お金が効率良く流れ込む空間の構築を優先するものだからだ。

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地域コミュニティや企業共同体の衰退などによる交流機会の消失、ちょっとした困りごともサービス頼みになる生活圏の市場化といったファクターがそれらを後押ししている。加えて、すべてを損得勘定に還元する消費者的な思考が無意識のレベルにまで浸透し、自分自身の性能をもその価値基準に当てはめて一喜一憂するようになっている。

皮肉なことにわたしたちは、好むと好まざるとにかかわらず、自らの土台を掘り崩していく世界を生きざるをえないのだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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