童話が「いろんな角度で考える力」を育む理由 視点を変えると、もう1つの物語が見えてくる
たとえば『3匹の子ブタ』には、オオカミの都合や正義が、いっさい話の中に出てきません。
でも、オオカミだって、生きなくてはなりません。
ひょっとしたら、群れにお腹を空かせた子どもが待っているのかもしれない。だからこそ、エントツから家に入ろうなんて無茶なことを考えたのかもしれません。
こうして考えると、子ブタ側の視点だけでオオカミを悪だと決めつけるのは、今の時代にはとても危険な考え方ではないでしょうか。
自分の身を守ろうとした子ブタも正義、でも、オオカミにもまた、オオカミの正義があったはずです。
こうして、『3匹の子ブタ』をちがう視点で読み解くと、正義の反対は悪ではなく、「もう1つの正義」だと学べる話になります。
その視点を取り入れることで、誰かと意見が違ったときに、なぜそう考えるのか、どうしてそんな行動をとるのかを想像することができるようになる。
ぼくはそう思います。
『裸の王様』は“空気”の持つおそろしさを問う話
『裸の王様』は、“バカには見えない服”を「見える」と言ってしまった王様が、最後に裸でパレードをする話です。
でも、王様が見えない服を見えると言ったのは、「バカだと思われたくなかった」からだけでしょうか?
ぼくは、そこにもう1つ理由があったのではないかと思います。
それは、“空気”です。
最初にその服が「見える」と言ったのは大臣でした。そして、その言葉につられてほかの家来たちもみんな「見える」と口にしました。
ぼくは、そこには同調圧力が働いていたのではないかと思います。
「みんなが見えると言っているのだから、見えるのだろう」「ここは見えると言っておこう」
そんなふうに、つい大勢の意見に合わせて、空気を読んでしまうことって、現代でもよくありますよね?
『裸の王様』は、視点を変えると、権力を持った王様でさえ逆らえない、“空気”のおそろしさの話になります。
空気を読むことは必要なスキルでもありますが、あまり人の意見に同調しすぎてばかりいると、自分で何も決められなくなってしまう。
大切なのは、空気を読むべきときと、自分の意見をつらぬくとき、そのタイミングを見極める力なのだと、この童話から学ぶことができます。
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