米国を仮想敵とした首相が卒倒「昭和天皇の一言」 太平洋戦争につながる日独伊三国同盟の舞台裏

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日独伊三国同盟に署名するイタリアのチャーノ外相(左)、ドイツのリッべントロップ外相(中央)、来栖三郎駐ドイツ大使(右)(写真:Ullstein bild/アフロ)
今年は太平洋戦争開戦(1941年12月8日)から80年。そのきっかけとなった1つが、ヒトラー率いるドイツ、ムッソリーニ率いるイタリアと結んだ「日独伊三国軍事同盟」です。その締結までの舞台裏には、各国のさまざまな思惑が渦巻いていました。新著『日独伊三国同盟 「根拠なき確信」と「無責任」の果てに』を上梓した著述家の大木毅氏が解説します。

穴だらけだった松岡洋右の議論

9月16日、午前と午後の2回にわたり、臨時閣議が開かれた。3日後の19日に開催されることになった御前会議に向けて、三国条約締結に関する最後の審議を行ったのだ。席上、松岡洋右外務相の説明に対し、みな沈黙していたけれど、河田烈蔵相と星野直樹企画院総裁が賛成を表するや、外務大臣は、えんえんとしゃべりはじめた。

その内容は、この饒舌で知られた人物の、ある種の軽薄さと無責任ぶりとを、ともに表していると思われるので、引用しておく。

「独領委任統治諸島をただで、旧独南洋諸島を無償とはゆかぬが日本にもらう。スターマー(シュターマー、ドイツの特使)の話では、ドイツは石油が豊富だ。ソ連もルーマニアもよこしているし、またフランスの占領によって消費した以上の石油をとった。そこで日本は困っているから、半分くらいよこせとスターマーにいっておいた。

またスターマーの話では、ソ連と日本の国交調整のあっせんをはかるということだから、北樺太の石油利権をよこすようあっせんしてくれ、場合によっては全部買収してもよいといっておいた」

この、穴だらけの議論を、近衛以下内閣のメンバーが傾聴していたのは、彼らも、松岡との「共同妄想」に陥っていたことを示すものであろうか。いずれにせよ、臨時閣議は、日独伊三国軍事同盟案を承認したのである。

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