日本人と世界が知るべき経済学とモデルの限界 良い経済学者と悪い経済学者を見極める方法

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シュンペーターはこれと似たことを言っている。「一般的な社会・政治・文化史、経済史、そしてとくに産業史は、現代の問題を考えるうえで欠かせないだけでなく、最も重要だと言える。資料や方法は、統計的なものであれ理論的なものであれ、歴史に従属するものであり、歴史なしには役に立たないどころか、むしろ有害である」。

経済学者が抽象的なモデルから学べるのは、知識の断片にすぎない(チェスと同じである)。そして、経済学者にできるのは抽象化しかないという状況はあり得る。ここで問題なのは、何らかの思考方法から何かを学んだとたんに、それが頭の中につくるイメージから逃れられなくなることだ。

類似の問題に直面するたびに、そのイメージが自動的に浮かんでしまう。こうしたわけで、モデルはときに有用ではあるが、ときに道を誤らせる。どちらの場合にも、モデルは現実を記述してはいないこと、現実の合理的な抽象化にすぎないことを、経済学者はわきまえていなければならない。

結局のところ、モデルは虚構である。役に立つ虚構であることを願っているが、とにかく虚構にはちがいない。経済学者たるものは、その虚構性を認識しなければならない。

経済学者はモデルを使ってよろしい。だがウィトゲンシュタインも言ったように、足場として上り、周りを見回すべきであって、信用してはいけないし、まして鵜呑みにしてはならない。モデルがいつ有益でいつ有益でないかを知らなければならない。さもないと、経済学者は益より害を多くもたらすことになるだろう。

私たちを動かすのは「問いの力」

本書は、機械論的・強権的な主流的経済学に対する批判の書と言ってよい。この強権に対抗して、ファイヤアーベントの表現を借りるなら、方法論のダダイズムを起こすことは有益だと信じる。

経済理論は、いま問題にしている事柄にどれだけうまく適合するかを基準に活用するほうがよい。その公理系が自分の世界観とどれだけ近いかを基準に選ぶのはやめにしたい。ある理論を全面的に「正しい」とか「真実に近い」と決めるのではなく、ある特定の具体的な出来事に役立つかどうかで順位をつけることが望ましい。

インスピレーションは不意にやってくるものだ。そのための科学的あるいは厳密な方法などない。来たら喜ぶ、それだけである。経済学は厳密さを要求する。しかしそのために経済学者は、知識獲得のもう一つの面を無視してしまう。

それは感じとること、謎を発見すること、インスピレーションをつかまえること、芸術や美に心を開き感性に従うことである。これらはどれも、厳密な科学的方法に劣らず大切である。問題に直面したとき、インスピレーションや好奇心や情熱がなかったら、発見はあり得ない。

『マトリックス』の中でトリニティが言ったように、「われわれを突き動かすのは問い」なのである。

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