元教員が仕掛ける社会とつなぐ「複業先生」の凄み 教えるということが社会人の成長にもつながる
「やっぱり地に足をつけて仕事をしなければならない」。わずか1年で退社し、結局、小学校の先生になった。「民間にいたから、学校現場のおかしさが目に付きました。紙の文化とか。それを“正してやろう”という思いがありましたね」。
どこか上から目線だったのかもしれない。「デジタル化」だの「効率化」だの、口にするは簡単だ。しかし、それ以前の問題だった。目の前の授業や学級運営がうまくいかない。「アナログ」だと感じていた年配の先生たちの教える技術には到底追いつかなかった。彼は自分に失望し、わずか3年半で教師を辞めた。
だが、彼の教育に対する熱は衰えなかった。むしろ「教育現場を変える」という奢った考えから、「現場の先生を助けたい」というスタイルに変わった。
「たまたま地元の富山で、小学生にプログラミングを教える機会があったんです。そしたら、学校も児童もすごく喜んでくれて。“学校の外の人間”が、教育現場の力になることができると確信しました」。
そこから地元・富山を中心に、自らが教壇に立ち、「複業先生」をスタート。賛同する学校や企業、“先生”を志望する人が増えていき、いまのサービス展開に至る。コロナ禍の副産物である「オンライン授業体制」も追い風となった。
“地方格差の解消”も目指す
東京の大企業の社会人が、富山の子ども相手のリモート授業でこんな話をする。「社会にはいろんなビジネスがある。いま好きなものを仕事にできるんだよ」。このメッセージで、地方の子どもはどれだけ救われるか。金谷さんは、こういった“地方格差の解消”も目指している。
「地方ってバリバリ働く社会人との接点が本当に少ないんです。オンライン授業によって“社会に対する子どもの情報格差”を埋められると信じています」
自分が成功できなかった「教師」。それを超えるのではなく、サポートしたい。彼のビジネスには、“人を思う気持ち”がある。「今でも思うんです。『教師になりたかった』って。羨ましいんです。だからこそ、手助けしたい。“外の人間“でも教えられることはあるし、テクノロジーでより良くできることがある。それを知ってほしいんです」。
「複業先生」の授業を受けた女子生徒は、「“外の社会”は未知」と話していた。それが現状だ。学校の“内”と“外”。その垣根がなくなった教育現場を、彼は目指している。
最後に、いじわるな質問をしてみた。今のビジネスを教師である両親はどう思っているのか、と。「両親は教師をやめたことに失望していたし、教育の常識も違うから理解されないと思いますよ」。金谷さんは淡々と語る。ただ最近、彼の活躍が載った記事を見た母から、メッセージがあったという。「がんばっていますね」と。
「両親には多く説明する必要ないと思います。ただ『これから見といてね』って言いたいです」。より良い教育のために。立場は違うが、その熱い思いは同じだ。
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