「女遊びで評判落とした武将」の意外すぎる最期 鬼神のごとき戦いぶりを見せた薄田兼相の一生
兼相は崩れそうになる部下を叱咤し、突撃を命じた。が、踏みとどまったのはわずかに30人。しかも、すぐ幕府軍に取り囲まれ、功を焦った敵兵たちが首を奪おうと殺到してきた。
このときにあって兼相は、歴史に残る奮戦をする。それは、彼の活躍を記した多くの古記録が証明している。よほどの働きをしなければ、あそこまで多数の書に兼相の戦いぶりは記録されなかったはずだ。
この日、兼相は、星兜をかぶり、渋皮色の鎧を身につけ、十文字の長槍を手にして馬上にあったという。彼は巨大な体躯を持っており、しかも威風堂々としていたから、傍目にも、ひとかどの将たることは瞭然だった。それゆえ、敵兵は皆ほかの武士には目もくれず、一斉に兼相に襲いかかっていった。
鬼神のごとき戦いぶりを見せた最期
兼相は、この群がる敵を数人、たちまち長槍で刺し貫き、槍が折れると大刀を抜き放ち、接近する敵の肩を鷲掴みにし、手元に引きよせては、次々と首を掻き切っていった。
だが、しばらくして兼相は落馬する。一説には、銃弾を受けて落ちたとする説もある。いずれにせよ、歩行になった兼相は、すぐさま気を取り直し、敵陣に駆け込んで7、8人を斬りまくり、さらには折れた槍の柄で多数を殴りつけて昏倒させたと伝えられる。まさに鬼神のごとき戦いぶりであった。
しかしながら、人間であるかぎり体力には限界がある。ついに動きの鈍るときが来た。そこをすかさず、河村新八という武士が組みつき、格闘の末、首をもいだのだった。だが、兼相はそれで本望だったろう。橙武者の汚名が、この奮戦によって完全にそそがれたからである。
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