リモートvs.出社の議論はもはや不毛でしかない コロナ禍前からリモートの会社に話しを聞いた
あるいは「オフィスのほうがイノベーションが生まれやすかった」と言われることもありますが、もしそうであるならば、この30年の日本からなかなかイノベーションが生まれなかった事実はどう説明するのでしょうか?
つまり、前提や論点がごちゃごちゃになった言説が多くて、あまり本質的な議論が生まれているとは言いにくい状況なのです。
そもそも、オフィスで働くこととリモートで働くことは、決して対立軸ではありません。働く場所の問題であって、「渋谷で働くのと恵比寿で働くのを比べてどちらが生産的か」という議論がナンセンスであるように、オフィスで働こうがリモートであろうが、その人の仕事の能力に変わりはないのです。
また「リモート疲れ」なんて言葉もできましたが、これもニュースで聞くような視点は少しずれているように感じます。
たしかに、リモートでずっと働いていると疲れることはありますよ。しかし、これはリモート自体のせいというより、リモートになるとオンラインミーティングなどのスケジュールを詰め込みすぎてスキマ時間が少なくなり、休み時間やダラダラした時間を取らなくなりがちで、実質的な労働時間が延びていることに原因があるのではないでしょうか。
そういう意味では、今までがサボっていた部分もあるわけですが、これは決して「リモートだから悪い」理由にはならないはずです。
必要なのは「コミュニケーションOS」を変えること
なぜこのような不毛な議論が起こるのか。それは多くの会社やチームが、リモートワークと言いながら、単に会議をZoomなどに置き換えただけになってしまっているからです。
リモートワークを取り入れるということは、コミュニケーションの仕方を変えることを意味します。エンジニアtype的に言うならば、「コミュニケーションのOS」を変えなければいけません。
これまでの仕事におけるコミュニケーションのOSは「聞く、話す」でしたが、リモートにおいては「読む、書く」に変わっています。つまり、空気を読んだり、雰囲気で伝えるような同期的なコミュニケーションよりも、チャットをうまく使ったり、正しく文面を読んだり、非同期的なコミュニケーションのほうが大事になっているわけです。
ですから、今までオフィスでやっていたようなちょっとした相談もZoomでやろうとなった結果、一日中Zoomの画面に張り付いている、なんてことになってしまう。これも、コミュニケーションのOSという本質を考えていないから起こることです。すでに違う競技になっているのに、前と同じ競技のルールを持ち込んでしまっているようなものですよ。
「聞く、話す」OSから、「読む、書く」にアップデートしなければいけないわけですから、前者のやり方は意識的に排除しなければなりません。
例えば「察してほしい」なんて状況は、「読む、書く」のOSでは対応できませんよね。オフィスで机を並べていれば、隣の人が忙しそうにしてたら自然と手を貸すことができますが、リモートでは他人の状況なんて見えません。でもこれは「読む・書く」のOSを使って、チャットなどに本人が「忙しくて困っている」と書き込めばいいだけです。