松本:当時は英語を使える機会が今よりずっと少なくて、ESSに入るぐらいしか選択肢がなかったですからね。
また、私の場合はディベートがやりたかったので、そのためにはクラブに入る必要があったのです。だから大学に入学したその日にESSのクラブ勧誘のテーブルに出向いて、「あの、ディベートしていますか? 英語で説明してください」って先輩に聞きました。生意気でしょ。「変な新入生が入ってきた」って、すぐうわさになったらしいです(笑)。ESSのメンバーは全部で250人ぐらいいましたね。
安河内:大所帯ですね。ディベートはできたのですか?
松本:はい。1年生の5月には同級の女子学生と組んで、学内のディベート大会に出ていました。
安河内:早いデビューですね~。お話を伺っていると、英語というよりはディベートがやりたくてしょうがなかった感じですね。
松本:そうです。英語を使うことには興味はありましたが、英語が好きでしょうがなかったわけではないのです。 たとえば、大学教員で英語学を専攻している知り合いには、「今日は知らない英単語に触れられたから充実した1日だった」といった人もおりますが、私にとってはありえないことです。
安河内:ああ、じゃあ私のような英語オタクとはかなり違いますね(笑)。では、大学では4年間ディベート漬けだったんですね。大会にもコンスタントに出られましたか?
松本:はい。たくさん出場しました。たまたまですが、全日本の学生ディベート大会で2回優勝しました。
安河内:わぁ、すごい!
松本:そのご褒美で日本代表としてアメリカに行かせてもらいました。もうひとりの上智大学の学生と一緒に、約2カ月かけて全米20州ほどを回りました。それが最初の海外旅行でした。飛行機に乗ったのも、そのときが初めてでしたね。
安河内:へぇー。各地でアメリカ人の学生とディベートをしたのですか?
松本:はい、しました。当時、私はアメリカ人の先生が英語で行う国際経済学のゼミに入っていたんですけれども、アメリカに行ってみたら、コミュニケーション学というのがあることを初めて知ったのです。「それじゃあ、こっちのほうがいいや」と思って、帰国してからは国際経済学のゼミは辞めて、文学部のコミュニケーション関連の専門科目の授業を受講させてもらうようにしました。そして、大学卒業後はアメリカの大学院にすぐ行きました。
(構成:山本 航、撮影:上田真緒)
※次回は11月12日(水)に掲載します。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら