成功例としての三宅一生氏の存在
――西谷さんは、ヨウジやギャルソンが成功した理由をどのようにお考えでしょうか?
彼らに先行した成功例として、Issey Miyakeの三宅一生さんがいました。この“一生さんがいた”という意味がけっこう大きい、と私は思っています。一生さんは、多摩美術大学の学生時代に、世界デザイン会議で『どうして衣服デザインの分野が含まれないのか』と直訴したり、東レのカレンダーに服のデザインを提供したり、学生の頃から才能と行動力を発揮していました。
そして、1970年代の一生さんの存在は、突出していました。とりわけインターナショナルな匂いがするというか。60年代にはパリでオートクチュールを学び、70年代の初めにニューヨークコレクションにいち早く参加したり、アフリカ系モデルばかりを使ったショー(三宅一生と12人の黒い女たち)を行ったり、デザインもビジネスの動きも非常にダイナミックでした。そういう一生さんのような存在があったことが、デザイナーのあり方を考えるうえで、ひとつの見本になったと思います。





        
        
        
      
        
      
          
          
          
          
        
        
        
        
        












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