「孤独になる勇気」を持てる人と持てない人の大差 偽りの結びつきによる和は保たなくていい
しかし、結果を出しさえすればコーチが何をしても許されるのかというとそうではない。人間の尊厳を傷つけられるようなことには断固抗議するべきである。
パワハラは駄目だという考え方は伝統的な習慣ではなかった。しかし、パワハラという言葉が流行することによって、それが駄目だという考え方も広まったのである。それが上司は部下を叱るものだという習慣を打ち破った。
職場以外での付き合いについても、流行が習慣を変えることができる。転勤や単身赴任についても問題にされ始めている。子どもが生まれたばかりなのに、また新居を建てたばかりなのに転勤を命じるのはおかしい。
三木が言うような知性的な流行の始まりは自然発生的なものではなく、誰かがおかしいのではないかと声を上げることで伝わっていくのである。
孤独を恐れるな
孤独を恐れる人は、多数者の考えに流されず他者の期待に反して行動する勇気を持てない。
他の人が皆上司に従順なのに、自分だけが違う行動をすれば孤独になるのではないかと恐れるのである。皆が楽しみにしている行事に自分だけが参加をしないといえば、上司の覚えがよくなくなるとか、仲間から外されるのではないかと恐れる。
今日は仕事を早く切り上げて帰ろうと思っても、他の人が仕事をしているとなかなか先に帰るとは言い出せないということもあるだろう。
上司が部下に対して理不尽な要求をしたり、上司の言動が不正であることが発覚したような時にも、それを上司に訴え改善を求めると職場で自分の立場が悪くなって孤立すると考えて黙ってしまうことがある。
このような意味で孤独になることを恐れるので、もしも自分が声を上げると職場の和を乱すのではないかというようなことを考えて黙ってしまうのである。しかし、声を上げた時、実際どうなるのかはわからない。
どのような共同体であれ、誰も何の疑問も抱くことなく同じ考えを共有していれば、その共同体には一体感、連帯感が生じるかもしれない。子どもが親に反抗せず、親に理想的に従順であれば、親子の間に軋轢が生じることなく、親子関係は安定するようにである。