大久保利通と岩倉具視を急接近させた難敵の正体 幕末の実力者たちですら手を焼いた男とは?

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松尾は非蔵人という官職に就いており、宮廷の雑務を行っていた。岩倉が九条関白のもとに押しかけた「廷臣八十八卿列参事件」にも参加している。一方の藤井は、少年期に三条実万(さんじょう・さねつむ)に仕えていたが、在野の尊王攘夷志士として活躍していた。

彼らが岩倉のもとを訪ねたのをきっかけに、岩倉は2人を通して、積極的に情報収集を行うようになる。

尊王攘夷派からは「幕府との公武合体を進めた奸物」とみなされていた岩倉。「奸物」とは「悪知恵ばかりの性根が曲がった人間」ということだ。しかし、松尾と藤井の2人が次々に尊王攘夷派を連れてきて、実際に会わせると、みな岩倉に魅了されてしまう。

水戸藩の香川敬三や、水口藩を尊王に導いた城多董(きだ・ただす)がまさにそうで、ともに岩倉と会うこと拒んでいたが、会うと「当代きっての傑物」と岩倉への認識を改めている。城多にいたっては、岩倉の洞察の深さに完全に取り込まれて、こう絶賛している。

「器宇識見時流に超卓し、その忠君憂国の至誠、言表に溢れ、一見してその有為の大材たる」

才能があって将来大きい仕事をする逸材――。反感を持つ相手の気持ちをここまで一新させられるのは、岩倉の人間力がなせる業だろう。城多は岩倉の腹心として活躍することになる。たとえ、失脚して地位を失っても、最後は「人と人」との付き合いがものをいう。岩倉は顔の広い城多を通して、さらに有志と交友を広げる。その求心力は、蟄居中にむしろ高まったといってよいだろう。

「書いて、動く」に再び運命をかけた岩倉

すべてを手放した岩倉だが、もともとはい上がってきたことを思えば、またやり直すだけのことである。成功は失われても、成功体験は失われない。岩倉は人生の突破口を開いた、2つのアクションに再び運命をかける。

それは「書いて、動く」。つまり、政治意見書の提出と列参である。

村にいながらも情報収集に励んだ岩倉は、朝廷の改革がまったく進んでいないことや、幕府が諸藩の意見を無視して、第2次長州征討に乗り出そうとしていることを知る。これでは、天皇のもとに1つにまとまった政治が行われているとは、とてもいえない。

岩倉自身も長州征伐には反対だった。幕府が勝っても、長州が勝っても、どちらかが勢力を伸ばすだけで朝廷にとって何もプラスにならず、世が乱れる結果にしかならないと考えたからだ。

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