つまりはですね、多くの人がぬか床をダメにしてしまうのは、それとは逆に、ぬか漬けを「たまにしか食べない」からなんである!
確かに、私がぬか床を何度もダメにしかけたのは、日々おしゃれなレシピ本を見て世界のゴチソウを作りせっせと食べていた会社員時代のことなのであった。
たまたま人様から良いぬか床を入手し、そうかこれを使えば自分でぬか漬け作れるのかと、試しにやってみたら案外簡単にできたので、「こりゃいいや」と喜んで始めたぬか漬け。でも日々多種多様な美味しいものを食べる暮らしの中では、ぬか漬けなんていう地味なものが食卓に登場する余地は、決して大きくはなかったのである。
それは、あくまで「オプション」だった。たまには素朴なぬか漬けとか食べたいよねー、みたいな。これだと、その「たまの地味なオプション」だけのために、特に用もないのにただ混ぜるためだけにぬか床を混ぜるという作業を毎日毎日やり続けなきゃいけないってことになる。
それをずっと続けられる人なんて、普通に考えているわけない。いたとすれば神のごとく真面目でまめな人、つまりは間違いなく「エライ人」である。
つまりはですね、ゼータクな食生活と発酵生活は、余程のことがなければ両立しないのだ。発酵生活とは、質素な暮らしをするものにのみ与えられた自然の大きなお恵みなのであります。
「買わない生活」の圧勝
ってことで……
「買わない生活」、圧勝!
「買う生活」、敗れたり!
……いやー、こういう発見をすると、どうにも頭がクラクラしてくる。私が長い間ずっと信じてきた幸せの方程式、すなわち、幸せになるにはまずは稼ぐこと! だってそれがなければ何も買えない、そして買えなければ何も始まらないという常識は、一体何だったのだろうか。
だってですよ、健康とは人生の基本であり、快便とはその健康の基本であり、すなわち快便とは人生の基本であることを考えれば、その人生の基本が、お金を使うことによってどんどん遠ざかり、崩れていくという事実をどう考えたらいいのだろう。
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