堀江貴文「僕はコロナ前・後という区分が嫌いだ」 ネガティブな未来思考よりも不要不急を選ぼう
人間の身体はほとんどが不要不急のDNA
ヒトゲノムは現代科学の分析では、ほとんどが不要不急のジャンクDNAで構成されている――。コロナ禍の広がっていた2020年の夏に、解剖学者の養老孟司先生が専門誌でそう論じていた。ヒトゲノムの4割はウイルス由来で、その4割がどのような機能を持つのか、まったく不明らしい。
ゲノムの中で機能が明らかにされているのは、全体の2%程度。つまり、ジャンクのほうが量的には圧倒的多数を占めている。そう。「要であり、急である」ことが、実は生物学的には例外なのだ。
「無用と思われていた存在が、のちに必要とわかる」ことは、生物界では常識だ。役に立たないと思われていた細胞や器官が、研究によって重要なものだったと判明する例は後を絶たない。
翻って、いまの日本社会はどうだろう。「不要不急の行動は自粛を」と、ひっきりなしにアナウンスされている。だが、DNAも人間社会も同じだ。不要不急は、感染予防のために禁止されるべきではない。むしろ、健全で健康な営みを保つことに貢献している。
なのに、正しい科学的な知識がないゆえに常に不安に怯え、過度な自粛生活を送っている人たちが多くいる。まるで自ら、行動を得体のしれない「戒め」で縛っているようだ。僕の目には自分の手で“人間らしさ”を放棄しているように思えてならない。
コロナウイルスは感染力が強く用心が必要ではあるけれど、現在の自粛要請は明らかに行き過ぎだ。無警戒でいい、とは言わない。感染対策はしっかりすべきだ。だが、政治家を含む社会の多くの人たちは、きちんと科学知識を学ばず、ただ感情的にパンデミックを恐れている。正しい知識を持ち、そのうえで自粛の同調圧力を打ち破り、不要不急を楽しむ日常を取り戻すべきだ。
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