堀江貴文「僕はコロナ前・後という区分が嫌いだ」 ネガティブな未来思考よりも不要不急を選ぼう

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未来思考は、意識が「いまここ」にない状態だ。つまり、起きてもいないトラブルを想定した未来を、意識上に「予約設定」しているのと同じ。それが幸せに結びつくとは、どうしても思えない。

未来を予測しようとか、安全にしていこうと事前準備することに、メリットはこれっぽっちもない。「知らない明日を迎えることが、人生の醍醐味である」ことに気づいてほしい。

未来を想像するのは、不安の種を育てることだ。コロナ禍でも、ほとんどの人たちは「感染したらひどく苦しむ」「治療法はないから死ぬかもしれない」「周りから村八分にされる」などと、未来の可能性に怯えている。なにも、自分から感染しにいけと言っているわけじゃない。正しい知識を持って感染予防に努めればいいだけだ。なのに、起きていないネガティブな事態を自分で決めつけ、右往左往しているのだ。

これから訪れる不要不急の社会

第一、不要不急を犠牲にしたって未来の不安はなくならない。何かを我慢して、不安が消えてなくなった経験を、持っているだろうか?未来にではなく、機会損失にこそ怯えてほしい。不要不急を減じて新たな経験に出会うチャンスを失う方が、人間にとっては恐ろしいことを知ってほしい。

『破戒のススメ: 我慢の奴隷から脱出する44の行動哲学 』(実務教育出版)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

未来思考と不要不急は、相性が良くない。どちらかを優先すれば、どちらかが邪魔になる。ここで選ぶべきなのは当然、不要不急のほうだ。

未来の失敗ばかり心配して、リスクから逃げるように暮らすのと、とりあえず後のことは考えずに、やりたいことを望むままやってみる。豊かな未来に向かう思考はどちらか。考えるまでもないだろう。

あえて言うが、僕はコロナ前・コロナ後という区分が嫌いだ。コロナウイルスは僕たち人類と共に、太古の昔から地球上に存在していた。突然現れた怪物ではない。区分があるとしたら、得体の知れない “戒め”に制限された「我慢強制前」と「我慢強制後」だ。だが、僕たちは我慢を強いられたことで、不要不急の必要性を改めて確かめることができただろう。いま必要なのは、不要不急の社会への脱出だ。

堀江 貴文 実業家

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ほりえ たかふみ / Takafumi Horie

1972年、福岡県生まれ。実業家。SNSグループ株式会社代表。現在はロケット開発や、アプリのプロデュース、また予防医療普及協会として予防医療を啓蒙する等、様々な分野で活動している。会員制オンラインサロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」のメンバーは500人を超える。『本音で生きる』(SB新書)、『多動力』(幻冬舎)等、著書多数。

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