日本人は昔から働き者?知ると深い「江戸の労働」 下級武士は「2日勤務1日休日」でも忙しかった訳

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さて、「サラリーマン」というものが日本で誕生したのは、第1次世界大戦後、大正時代(1920年代)であった。近代化・西洋化によって、西洋のビジネスの雇用関係が生まれ、午前9時から午後4~5時までを勤務時間とする会社が増えていく。農業や商業に従事する人々が多いなか、高給取りのサラリーマンはあこがれの的だった。

そして第2次世界大戦後、1947年には労働基準法によって1日8時間労働が定められ、1965年には松下電器産業(現パナソニック)が週休2日制を導入している。ただ、高度経済成長期には、会社への忠誠心が高く私生活は二の次でガムシャラに働くサラリーマンが登場し、モーレツ社員という俗語が誕生するほどであった。

平成に入り、バブルが崩壊。企業の倒産が相次ぎ終身雇用制が崩れていくと、ブラック企業や過労死が社会問題となっていく。そのことが、日本人の働き方を見直す気運をつくっていくことになる。

長時間労働が染みついている日本人

以上、労働の変遷というものを概観してきたが、そこから何がわかるであろうか。まず、武士の勤務時間(日数)や時間管理は商家や農家に比べて、楽なように見えるが無断欠勤には処罰もあったし、時間厳守の風潮もあった。また、勤務を終え、自宅に帰ってからも、自宅で執務することもあった。残業のようなものである(下級武士は内職!)。

商家においても、時間を厳しく管理される手代の姿を見た。農家も休日というものはほとんどない状態であった。

それらのことからわかるのは、日本人が昔からよく働いていたということである。戦後の高度成長期になって「働きバチ」が生まれたわけではないのだ。有給休暇取得率の低さとサービス残業の多さは今でも問題になっているが、長時間働くということは長い歴史の中で、日本人に染み付いてきたものであり、一朝一夕に改善するのは簡単ではない。

しかし、長時間労働は日本だけの問題だったわけではない。ヨーロッパ、例えばフランスなどは、1930年代でも、工場労働者は1日15時間働き、休みは日曜だけだった(夏の休暇をとる習慣は、19世紀からあったが、最初それは店主や幹部クラスに限られていた)。それが今ではすべての労働者がバカンス休暇を取れるように法律で定められている。

日本でもフランスのように、バカンス休暇を法律で定めるのもいいかもしれない。仕事と生活を調和させていくために、まずは社会全体で休むというコンセンサスを形成していく必要があるだろう。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro
 

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