仏教に学ぶ「自分さえ自分の頼りにならない」真理 好ましくない変化は認めないという心が間違い

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こうして、彼女の家族は1日でみんな死んでしまったのです。彼女は錯乱状態になりました。

彼女は本能の赴くままに、昔住んでいた家のほうに向かいました。でも、「あの家はどこにありますか、そこまでの道は?」と人々に聞いても、どういうわけか、誰もぜんぜん教えてくれません。

しつこく聞いてやっと教えてもらえたのは、昨日の雨で自分の家に雷が落ちて、父母も兄弟もみんないっぺんに死んだという事実でした。いままさに、火葬場でみんな一緒に燃やしているところだというのです。

彼女はその瞬間に狂ってしまいました。本当にぜんぶなくなってしまったのです。行くところも戻るところもなくなった娘は、泣きながらあっちこっちへ走りました。着ている服もぜんぶ脱げてしまいましたが、それもわからないくらいの状態でした。それを見た子どもたちにも石を投げられ、とても悲惨な状態でした。

そんな彼女を見た仏教の信者さんたちが、「ここを曲がってこっちへ行ったら、行くべきところがありますよ」と、お釈迦さまのところへ行く道を教えました。彼女は裸のままお釈迦さまのお寺に入っていきました。

彼女を見た人々は「入るな。この女は病気だ。頭がおかしくなっているんだから入るな」と口々に非難しましたが、騒ぎを聞いたお釈迦さまは、なんのことなく「いいえ、彼女を通してください」と言いました。

そして、日本風に言うならば、「ああ、お帰りなさい」と言ったのです。

この言葉で、彼女は正気に戻りました。自分が裸でいることにもようやく気づいて、人に服を貸してもらいました。それで説法を聞いて出家して、時間はかかりましたが悟りました。

何かを頼って生きる危険

彼女の問題は、自分で独立することがまるっきりできないことです。家にいるときはずっと親に頼って、駆け落ちしたら相手の男の人に頼って。とにかく人に頼ろう、頼ろうとしているのです。

それで結局どうなったかというと、頼っていたものがぜんぶ消えてしまったときに狂ってしまった。彼女に必要なのは「誰にも頼らない。私は私で生きる」という強い精神力だったのですが、それは最初から、どの大人もまるっきり教えてくれなかったのです。

お釈迦さまは彼女を見て、それを一瞬に理解したのです。それで何を言ったかというと「お帰りなさい」です。普通は自分の家に帰ったときに言われる言葉ですね。ですから、そのひとことで彼女の心には「ああ、やっと家に戻れた、もう安心だ」という実感が生まれました。

問題の解決にはならないのですが、彼女がそのとき何より必要としていたのは、頼るところだったのですから、まずはそれしか方法がなかったのです。

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