日本で流行する「脱成長論」は正しい選択肢なのか 山本康正×小島武仁「資本主義の未来」(前編)
小島:脱成長論は、現状認識について重要な問題提起だと思います。ただ、山本さんとまったく同じ感想になってしまうのですが、エビデンスがないままいい切っている主張も多々見受けられます。あるテクノロジーが発達して環境負荷が減っても、さらに便利になることで皆が持ちたがるから環境負荷の総量は増えます、と一足飛びで結論づけたりする。僕自身そこは専門ではなく、定量的に本当かどうかを知らないため意見を挟みませんが、気候変動のような地球全体の話は大きすぎるがゆえに感情的にもなりやすい。そのあたりはぐっとこらえたほうがいいのでは、と感じています。
たとえば「ある種のテクノロジーは環境破壊を進める可能性がある」との結論に至ったときに、そのテクノロジーを完全に禁止するのはほとんどの場合は悪手です。テクノロジーには使い方によって良い面もあれば悪い面もある。それならば悪い面を細分化して、減らすために政策などによってなにができるかを検討するのが本来すべきことです。経済学でいうところの「外部性」(ある経済主体の活動が、市場を経ずに他の経済主体に影響を与えること)を適切に考慮に入れるということですが、そういった地道な作業は重要だと思います。
すべての指標は不完全である
山本:まさにそうですね。すべてを自由化させれば上手くいくわけではなく、悪い面は規制や金銭的ではないインセンティブを与えることでコントロールしていく。一方で、テクノロジーは発展したものの、今の日本は裕福な国とはいえません。GDPは下がってはいないものの、20年以上も停滞している。その間にすごい勢いで伸びているアメリカや中国とは対照的です。仮に日本がイノベーションを成功させて米中と同じくらいにGDPが伸びていたら、ここまで脱成長が支持される風潮にはなっていなかったのではないでしょうか。ただ、GDPに代わる新指標を考えようといった議論もありますが。
小島:GDPの不完全性は昔から多くの経済学者が指摘していますね。「世界の幸福度ランキング」なども同じですよね。あれはGDPや健康寿命、個人の自由度、貧困の指数などを考慮して「幸福度」を評価したものですが、ひとつの指標に飛びつき、結論に結びつけていく姿勢は危険だとも思っています。