日本で流行する「脱成長論」は正しい選択肢なのか 山本康正×小島武仁「資本主義の未来」(前編)
地球規模の議論をするときは感情を抑える
山本:小島先生とはハーバード大学でのご縁以来、もう10年以上のお付き合いですが、数式や理論のバックグラウンドがとても堅牢な方だなと常々感じていました。世界に名を轟(とどろ)かせた経済学者の宇沢弘文先生(1928~2014)に近いものを感じるんですね。数学から経済学に転身された宇沢先生もまた、数学的にカチッと構築された理論と、そこからさらに発展していける拡張性の高い思想をお持ちの方でした。今回はサステナビリティとテクノロジーの関係性などについて、ご意見を伺えたらと思います。
小島:こちらこそ、よろしくお願いします。
山本:今、「脱成長」というモデルに注目が集まっています。書店でも脱成長をテーマにした本をよく見かけるようになりましたが、気候変動や格差、分断を生み出す資本主義から脱して「脱成長社会」を実現しようという考え方です。ディスカッションをするにはすごくいいテーマだとは思いますが、僕は誤解を生んでしまうのではないかという危機感を抱きました。脱成長論にあっては、新技術は豊かさを失わせているという前提に立って議論を展開されていますが、エビデンスがないように感じてしまう主張も少なくない。
たとえば、EV(電気自動車)のような「グリーン技術は生産過程にまで目を向けるとそれほどグリーンではない」という主張もありますが、シェアリングエコノミーやロボットタクシーが実現すれば、自家用車の所有台数は一気に減るはずです。サステナビリティのためにテクノロジーができることを恣意的に過小評価している印象を受けてしまいます。
私はリテラシーと知恵がしっかりと社会で共有されれば、資本主義を否定することなく、そこから拡張していける方法があるはずだという立場ですが、小島先生はいかがですか。