「愛と恋の違いとは?」キリストが導いたその正解 日本人は「愛」本来の意味を誤解していた

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愛と恋の違いとは?(写真:Dobino/iStock)
「愛」という言葉を見聞きして、どんなイメージを持ちますか? わかるようでわからない、その意味をキリスト教の観点から解説。作家の佐藤優氏の新刊『13歳からのキリスト教』より一部抜粋・再構成してお届けします。

「恋」と、「愛」は、何が違うのでしょう。

恋のほうはわかりやすいかもしれませんね。相手を見たらドキドキする。思わず相手を目で追ってしまう。話をすると手に汗をかいたり、赤面してしまう。ひどくなると何をしているときも、相手のことを考えずにはいられなくなる。

とても強くひかれているわけですから、当然のこととして、なんとかして相手に近づき、自分に関心を持ってもらいたいと思うようになります。

もしうまくつき合えたら、自分だけを見てほしいという気持ちが高まり、相手を独占したくなる。自分の期待にこたえてくれなければ、激しく落ち込んだり、ときには相手を憎んだり攻撃したり…。もしふられそうになれば、相手をしつこく追いかけて困らせる。

好きな気持ちから始まった恋も、次第に、わがままとわがままのぶつかり合いになることはよくあります。このように自己中心的なものは「恋」であっても、「愛」ではありません。

「愛」とはなにか?

では、「愛」とはなんでしょう? キリスト教でいうところの「愛」は、ギリシア語で「アガペー」と言います。アガペーとは、神が人をいつくしむような、無償の愛のことです。

無償の愛とは、見返りを求めず、ただただ、その人の幸福を願うという気持ちです。この愛は、親が子どもに与える愛に似ています。親が生まれてきた子をいつくしむのは、なにか見返りを求める気持ちがあるからではありません。

ただひたすらいとしくて、この子を大切にしたいという気持ちからです。子どものためなら、自己犠牲も惜しみません。

ところで、16世紀にヨーロッパから日本にキリスト教を伝えに来た宣教師は、聖書に出てくる「愛(アガペー)」にふさわしい日本語の訳し方に、たいへん苦労したようです。

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