「愛と恋の違いとは?」キリストが導いたその正解 日本人は「愛」本来の意味を誤解していた
ところが、それを実践して見せたのが、イエス・キリストです。イエスは十字架にはりつけにされ、自分が痛みに苦しんでいるというときに、自分を迫害した人々を、呪うどころか、その罪を赦してくれるように神に祈るのです。
自分を迫害し、殺そうとしている人たちのために祈るのですから、これこそまさに、究極の愛です。
愛がなければすべてが「無」に等しい
このようにキリスト教では、愛の実践こそがすべてなのです。
新約聖書のなかの、パウロの言葉です。どんな知識も、どんな信仰も、どんな財産も、そこに愛がともなっていなければ、まったく無に等しいのです。
パウロは続けます。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。(中略)自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(コリントの信徒への手紙I.13-4.7)
日常のなかで愛を実践するとき、ぜひ、この言葉を思い出してみてください。
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