「愛と恋の違いとは?」キリストが導いたその正解 日本人は「愛」本来の意味を誤解していた

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ところが、それを実践して見せたのが、イエス・キリストです。イエスは十字架にはりつけにされ、自分が痛みに苦しんでいるというときに、自分を迫害した人々を、呪うどころか、その罪を赦してくれるように神に祈るのです。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書22.34)

自分を迫害し、殺そうとしている人たちのために祈るのですから、これこそまさに、究極の愛です。

愛がなければすべてが「無」に等しい

このようにキリスト教では、愛の実践こそがすべてなのです。

「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」(コリントの信徒への手紙I 13.1-3)

新約聖書のなかの、パウロの言葉です。どんな知識も、どんな信仰も、どんな財産も、そこに愛がともなっていなければ、まったく無に等しいのです。

パウロは続けます。

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「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。(中略)自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(コリントの信徒への手紙I.13-4.7)

日常のなかで愛を実践するとき、ぜひ、この言葉を思い出してみてください。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官

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さとう まさる / Masaru Sato

1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。

2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』(新潮社)で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』(東洋経済新報社)、『獄中記』(岩波現代文庫)、『人に強くなる極意』(青春新書インテリジェンス)、『いま生きる「資本論」』(新潮社)、『宗教改革の物語』(角川書店)など多数の著書がある。

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