夏休み明けに「不登校」娘の選択を認めた母の葛藤 「中学行かない宣言」にも「わかった」と一言
不調の原因がわかり安心した反面、私にとって娘の診断はショックでした。当時は精神的な病気の知識もありませんでしたし、「精神病は誰でもなり得るもの」という社会の認識もうすかったので、すごく不安になったのを覚えています。
同級生と比べて焦る気持ちも
――娘さんの不登校をどのように受けとめていましたか?
夏休み以降、転げ落ちるように体調が悪くなったので、学校へ行かないことに対しては「この状態じゃ、行けないよね」と思っていました。学校へ行く以前の話というか、毎日生きていくことさえ娘にとってはたいへんだったと思うんです。
なので、適応障害の診断が出たタイミングで「学校へ行かなくていいよ」と娘には伝えました。これ以上体調が悪くなるのなら行かなくていい、と私自身が思ったんです。
しかし私自身、葛藤がまったくなかったわけではありません。私の学生時代は「学校へ行かない」という選択肢がなかったので、学校へ行かない感覚が正直わからなかったんです。なので、体調不良を理解しつつも心の底では「このまま行かなかったら、勉強はどうするんだろう」「この先、友だちができないんじゃないか」「この子はどうやって生きていくのだろう」とつねに娘の将来が不安でした。近所やまわりの同級生の子と娘を比べて、焦る気持ちもありました。
遠足だったり体育祭だったり、私は学校の行事に楽しい思い出があったので「みんなが経験できる学校での楽しいことを、娘は経験できないんだな」と悲しくなったこともあります。不登校になった直後は、もどかしさから「今日も学校へ行かないの?」と娘に直接言ってしまったこともあります。学校へ行かなくていいと感じたのは本当ですが、娘の不登校を最初から受けいれていたかと言われればそうではなかったなと思います。
――その後、娘さんはどのようにすごされたのですか?
学校へ行かなくなってしばらくすると、娘の状態はかなり落ち着いて、小6の秋くらいにはご飯も食べられるまでに回復しました。