夏休み明けに「不登校」娘の選択を認めた母の葛藤 「中学行かない宣言」にも「わかった」と一言

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ただ、手紙を見つけたことを娘には伝えませんでした。手紙のことを伝えたら、せっかく癒えてきた心の傷をまたえぐることになるかもしれないと思いましたし、それに、親が手紙の存在を知ったとわかったら本人はイヤだろうなと思いました。

結局、「手紙見たよ」と話したのは、娘が中学生になってしばらく経ったころだったと思います。中学のころには体調もよくなり、精神的にもだいぶ安定していたので、話すなら今だと思ったんです。

娘の言葉に開き直った

――中学には通われたのでしょうか?

地元の中学校に進学したのですが、結局、娘は1日も通いませんでした。娘は中学の入学式当日に「中学へは行かない」と宣言をしたんです。

入学式を欠席した日の夜、リビングに下りてきて、ひとこと「私は中学へは行かないから、申し訳ないけどあきらめてほしい」と言った娘の姿は今でも覚えています。突然のことで一瞬おどろきましたが、私はその場で娘に「わかった」と返事をしました。

娘の学校へ行かない選択に「わかった」と言えたのは、私自身が待つことの意味を理解したのが大きかったなと思います。娘が小6の夏休みに学校へ行かなくなってから半年間のあいだ、私は子どものうつの本や不登校の本を読んで、どうやって娘に向き合ったらいいのかをずっと考えていました。

そのとき、どの本にもかならず書いてあったのは「今、子どもは休んでいる。休んで自分のエネルギーが溜まったら、かならず自分から動き出すから、それまで待て」というアドバイスでした。

始めのころは「待つ」というフレーズを目にするたび、どうしても「動き出すときは、いつなの?」「本当に動き出すときなんて来るの?」と疑問や不安な気持ちばかりが込み上げました。頭では待つことの必要性をわかっているつもりでも、半信半疑で心から納得はできていなかったと思います。

しかし、半年という時間をかけて娘の不登校の原因を知ったり、心のケアの方法を学んだり、休むことですこしずつ元気になっていく娘を見たことで、「待つことの意味」を私自身が実感していったのだと思います。小学生のころも学校のない土日になると娘は落ち着いていたので、「ああ学校へ行かなかったら、この子は元気で生きていけるんだ」と感じていた部分もありました。

なので、娘の行かない宣言を聞いたとき、「これはもう待つしかないんだな」と納得をして腹をくくりました。娘にとっても一大決心だったと思うのですが、娘の言葉をきっかけに私自身も不登校という状況に「開き直った」というのが、一番しっくりくる表現かもしれません。

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