45歳の証券マンが脱サラ「CG界へ転身」決意の裏側 「ミレニアム・ファルコン」を作った男の半生
23年間のサラリーマン生活に別れ
サラリーマンとして働いていて、会社を辞めようと考えたことがまったくない人間など、この世にはおそらく存在しないはずだ。
上司や同僚との人間関係がうまくいかない、仕事が面白くない、忙しくて家族や恋人と過ごす時間がとれない、給料が安すぎる、このままではキャリアアップできない──。
サラリーマンが会社を辞めたくなる理由といえば、こんなところだろうか。
2008年初頭、サラリーマン生活23年、45歳になる私もご多分に漏れず、会社を辞めるべきかどうか悩んでいた。当時の私の肩書は、日興コーディアル証券(現・SMBC日興証券)のニューヨーク駐在員事務所長。オフィスは、世界の繁栄の象徴ともいえるタイムズスクエアにあった。
これだけ聞くと、恵まれた環境にあった人間の贅沢な愚痴に聞こえるかもしれない。だが、マイナス十数度にもなるニューヨークの外気と同じくらい、私の心は会社で働くことに対して冷たくなっていた。
ニューヨーク、特に真冬のニューヨークでの通勤は心躍るようなものではない。オフィスにたどり着く前にはすでに疲労困憊しているが、本当に疲れるのはここからだ。
事務所は3年前に開設されたばかりで、私が初代の所長である。できてまだ日が浅い事務所だから、新規ビジネスを試行錯誤しながら模索していかなければならない。仕事自体はやりがいはあったものの、西海岸のIT子会社勤務から所長になった私と、本社エリートコースを歩んでアメリカに意気揚々とやってきた部下では、反りが合うはずもない。所長として赴任した初日から、職場の人間関係はギスギスしていた。
開放的な西海岸とは異なり、ニューヨークの事務所では働き方も「ザ・日本企業」だった。定時が過ぎても、日本との連絡があるため遅くまでオフィスに居残り、出張者や顧客がいればまたもや接待だから、帰りは午前様が当たり前になった。
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