なぜか機嫌がいい人がしている「なるほど」な工夫 不機嫌な人は残念ながら幸せにはなりにくい
たとえば、私の待ち合わせの場所は、大抵、本屋さん。これで1時間ぐらいまでは待たされてもOK。「申し訳ない。遅くなる」と電話があっても、「気にしないで。どうぞ、ごゆっくり」、相手が来たら「えー、もう来たの? 私もちょうどいい本を見つけたところ」などと言える。これで、相手の罪悪感もとり除いてあげられます。
イライラしないためには、「ちょうどよかった!」とつぶやいてみるといいでしょう。でも「ちょうどよかったとは思えない」ということもありますよね。
恋人から連絡が3日来なくても…
たとえば、「恋人から連絡がもう3日来ない」というとき。1日に何度もスマホをチェックしては、がっくりと肩を落とし、時間が経つにしたがって、さらにイライラ。「なにかあったのかな」「嫌いになったってことはないよね」という不安が、だんだん腹立たしさに変わっていきます。そんなときも、「ちょうどよかった」はあるのです。
「これを機に、連絡のマメさで愛情を測るような幼い付き合いから脱皮しよう」「それだけ私に甘えてくれてるってことね。次に会うときは相当うれしいだろうな」。待つのは忍耐力を要します。イライラが大きくなると、恨みがましい物言いになるので、できるだけ楽観的に。
仕事では、いろいろなことを期待されます。「いい部下」「いい後輩」「いい先輩」「いい社員」……そんないろいろな期待にすべて応えようとがんばると、疲れてしまうはずです。
私も、初めて上司の役職が与えられたときは、部下から尊敬され、慕われる上司、会社からも認められる管理職になろうと必死にがんばり、毎日クタクタ。部下は思い通りに動いてくれず、自分も理想の上司になれないことで、イライラは慢性化していきました。
いま思うと「いい人でありたい」「嫌われたくない」という気持ちが強かったのです。裏を返せば、そのままの自分がどう思われるか、自信がなかったのだと思います。でも、未熟な部分を見せてもいい、むしろ見せたほうが周りから助けてもらえるということも、いまだからよくわかります。