音楽・美術・体育の「授業がない国」の背景事情 池上彰「コロナが収束したら海外に出てほしい」

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「美術」については、絵や粘土の制作などが「偶像崇拝」につながるとされて、授業でやらない国や地域があります。偶像崇拝とは、絵や彫刻、または自然の中にある目に見えるものを霊的な対象として崇拝・礼拝することです。

イスラム教は、偶像崇拝を厳しく否定しています。それは、ムハンマド自らが禁じたからです。イスラム教において、神様は唯一絶対の存在。人には見えません。そんな神様の像を人間につくれるわけがないというのです。

イスラム教ではムハンマドの絵を描いたり、偶像をつくったりすることも禁止しています。2015年にフランスで風刺新聞を発行している「シャルリー・エブド」がイスラム過激派のテロリストに襲撃されました。「シャルリー・エブド」はムハンマドの肖像を題材にした風刺画をたびたび掲載して、イスラム教徒から反感を買っていたのです。

「体育」の授業がない理由

では、「体育」の授業はなぜないのでしょうか? イスラム圏の人たちの服装を思い浮かべてください。女性はスカーフなどで髪を覆っていますね。

『コーラン』には、女性たちの美しいところは隠しておけと書いてあります。髪の毛以外のところは、各国の気候風土によって差があります。アラビア半島のような乾燥した砂漠の国ではマントで全身を包みますが、東南アジアのインドネシアやマレーシアでは、蒸し暑いので髪の毛だけ隠しています。

男性も、信仰にふさわしい肌の露出の少ない服の着用が求められます。男女とも、体育で肌を露出するなんてとんでもない、というわけです。

体育の授業がない国や地域では、軍隊の新兵たちにそろって行進させると、うまくできないそうです。日本では小学校のときから体育の時間に行進をするので、誰もが自然とできるようになる。反対に、体育の授業がないと覚える機会もないわけです。なるほど、そうかと思いましたね。

イスラム教には、私たち日本人からみると不思議だったり、厳しいと感じたりする戒律が多くあります。中でも、「ラマダン」という断食の戒律が有名です。イスラム教では、ラマダン月(イスラム教独自のヒジュラ暦の9月)の1カ月間、日の出から日没まで食事をしません。

私はラマダン期間中のアラブ首長国連邦やカタールを取材したことがあります。重苦しい雰囲気なのだろうかと考えながら行ってみると、予想と異なり、お祭りというか、イベントを楽しんでいるように見えました。

毎日、断食が明ける日没を待って、みんな一斉に食事をします。夜の商店街は大勢の人でにぎわい、バーゲンセールが行われていました。イスラム圏の国によって違いはありますが、現地取材をして、ラマダンの印象が一変しました。

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