聖火最終ランナー「大坂なおみ」だった必然的理由 開会式から見えた今回の東京五輪のメッセージ

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はたして聖火最終ランナーは誰なのか?

オリンピックの聖火最終ランナーには、その大会が目指すメッセージが投影される。

1964年東京大会は坂井義則さん

1964年の東京大会で最終ランナーを務めたのは、広島に原爆が投下された日に、広島県で生まれた坂井義則さんだった。敗戦からわずか19年で奇跡的な復興を遂げた日本の「象徴」でもあった。

1996年アトランタ大会はモハメド・アリ氏だった。彼は1960年ローマ大会のボクシングで金メダルを獲ったものの、帰国後は黒人であるがゆえにリスペクトされず、怒りのままに金メダルを川に投げ込み捨てたという「悲しみの歴史」があった。その彼が、長い年月の後に黒人差別が激しい州として知られたジョージア州のアトランタで、聖火の最終ランナーを務めたことには「強いメッセージ」が込められていた。

2000年シドニー大会では出場選手でもあるキャシー・フリーマン選手が務めた。彼女はオーストラリアの先住民族アボリジニであり、国内で虐げられてきたアボリジニとオーストラリアの多数派「白人」との融和のシンボルとされた。彼女が陸上女子400mで見事に優勝して金メダルを獲ったシーンは、シドニー五輪の象徴的なシーンとなっている。

2012年ロンドン大会は「7人のティーンエイジャー」が務めた。未来に繋ぐ、というイギリスの思いがそこには託されていた。

前回2016年のリオ大会で最終ランナーを務めたのは、バンデルレイ・デ・リマ氏。アテネ大会男子マラソンで、途中までトップを走り金メダル確実かに思えたが、乱入者の妨害によって銅メダルとなってしまった。しかし明るく笑顔でゴールした姿は世界に感動を巻き起こし「金メダリストよりも輝いた銅メダリスト」と賞賛された。厳しい経済状況にあえぐブラジルにとって「困難の中でも明るく前を向く」デ・リマ選手は勇気を奮い立たせてくれる存在だった。

一方、2008年の北京大会では、それまで中国で「もっとも多くのメダルを獲得した」選手である李寧氏が最終ランナーを務めた。ここには“国威発揚”というその後の中国を暗示するかのような意図も感じられたのである。

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