「誰でも表現者」時代の本質は「リズムと社交」 世界を広げる読書案内としての「山崎正和」評伝

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高度経済成長の終息まもない1970年代半ばにたたずむ山崎の慧眼は、1920年代のアメリカと1960年代の日本に共通性を見いだすが、それから半世紀を経て2020年代に立った私たちは、同書を読むことで、自分たちが体験してきた歴史をどう振り返るか、それを基に現在をどう捉えるか、重要かつ批判的な視座を与えられるだろう。

消費社会の美学

『おんりい・いえすたでい′60s』から約10年後に発表された『柔らかい個人主義の誕生』(中公文庫)に見られる、日本社会への評価の変遷は、山崎の思考の柔軟さと確固たる規範の有り様を感じさせる。あまりにも長すぎるため、私たちが「戦後」とひとくくりにしてしまいがちな時代区分の中に埋もれた変化を析出し、明快な国家目標を失った社会が目指す一つの方向性として山崎が提示したのが「柔らかい個人主義」であり、同書のサブタイトルでもある「消費社会の美学」であった。

もちろん幾度かの後退期を挟みつつも基本的には右肩上がりを続け、まもなく土地バブルを招来する経済状況や、今となっては懐かしささえ覚える、冷戦構造に立脚した安定的な二項対立社会など、その議論を強く下支えしながら、現在までに失われた要因は多く、書かれた状況そのままにこれらの著作の叙述を受け入れることは難しい。

しかし、高度成長とそれに伴うグローバル化が日本型の地縁血縁共同体(ムラ社会)を解体し、個人化された大衆社会が孤独と不安を内包することでしか立ち行かなくなる時代に、「消費」と「美学(美意識)」に着目することで人々の欲望を他者との交歓、すなわち「社交」へと転化しようとする道筋を見いだしたことはどれほど称揚しても足らない。

連綿とした思索は2000年代には、人間の本質を社交の内に見定めた『社交する人間』(中公文庫)へと結実する。ここに至って個人はいよいよ表現者としての性格を強め、相互の認め合いによって他者との関係性(絆)を深める社会に沈潜していくことになる。同書が刊行された2003年、山崎は古希を目前にしていた。そうしたこともあってか、たびたびグローバル化の意義を問いながら、情報技術への言及はごく限定的である(付言すれば、ツイッター、フェイスブックの日本語化は2008年、インスタグラムのローンチは2010年、ティックトックのローンチは2017年である)。

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