流産から3カ月が経ち、不妊治療を再開したところ、2度目の妊娠をした。「今度こそ」という気持ちでいたのに、やはり8週目で流産をした。
そして、2度目の流産で、気持ちがボロボロに傷ついているときに、夫が実家の母と電話で話しているのを部屋の外から立ち聞きしてしまった。
「母さんが言った通り、もっと若いヨメをもらえばよかったよ」
この言葉が胸に突き刺さった。ドアを開けて、電話をしている吉次に言った。
「若くなくて、悪かったわね!」
その叫び声は、電話の向こうにいた姑にも丸聞こえだった。その後、姑は昌子の実家に電話を入れたようだ。夜に、昌子の母から電話がかかってきた。
「まあちゃんは、頑張りすぎちゃって、かなり疲れてると思うの。冷静になったほうがいいから、少しの間こっちに帰っておいで。お父さんとお母さんの家で、心身ともにゆっくりしなさい。明日、迎えにいくから」
翌日母がやってきて、昌子は母と一緒に帰省をした。
帰省後、吉次はまったく連絡をしてこなかった。昌子が入れるLINEも最初のうちは既読になっていたが、1週間経った頃から、既読にもならなくなった。
夫婦関係が壊れていくのを感じた。
そして、3カ月が経った頃、吉次の母が弁護士を伴い、すでに吉次のサインがされた離婚届を持って、昌子の家にやってきた。
連れてきたのが、吉次ではなく弁護士だったことに、大きな憤りを感じた。こんな人を、もう“お義母さん“とは呼びたくないし、吉次と夫婦としてやり直したい気持ちもゼロになっていたので、すぐにサインをした。
妊活は、婚活よりも大変だった
その離婚から半年が経ち、昌子は、「もう一度婚活をしたい」と私を訪ねてきた。
「子どもを授かりたいという気持ちは、まだあります。でも、無理かもしれないという気持ちも出てきました。ただ諦めてはいないので、また婚活をしたいんです」
そして、これまでの体験をこんなふうに語った。
「妊活って、婚活よりも大変だなというのが実感です。頑張っているのに努力が報われない。決められた日に病院に通って、処方された薬を決められた時間にちゃんと飲んで、お医者さんから言われた通りに規則正しい生活をして、やれることはすべてしたのに……」
大きなため息をついて、続けた。
「着床して妊娠がわかったときに、もうそれを命だと感じるんですよ。その瞬間から母親になる気持ちが育ってしまう。最初のときは、“生まれてくる“って信じていたから、毎日愛おしくて、お腹を撫でていました。だから、ダメになったときには、奈落の底に突き落とされた。2度目は、1度目のことがあったから、もう毎日が不安で。“このまま、なんとか元気に育っていきますように“と、毎日神様にお願いしていました。でも、やっぱりダメだった。そのときの失望感ときたら……。今回のことで、どんなに願っても、どんなに頑張っても、どうにもならないことがあるんだというのを思い知らされました」
ただここで止まっていたくはない。これからの人生は、まだまだ長いのだから。
「“絶対に子どもが欲しい“という、何かに取り憑かれたような気持ちはなくなりました。肩の力が抜けたというか。これからは、もっと人柄を見る目を養って婚活をしていこうと思います。今度は、お人柄重視で、年齢が少し離れていても、プロフィールを見て惹かれるものがあったら、お会いしたいなと思っています」
妊活に関して言えば、不妊治療によって昌子たちのように、亀裂が入ってしまった夫婦もいれば、より絆を深めて、寄り添って年を取っていくことを決めた夫婦もいるだろう。
人生は、欲しいと思ったものがすべて手に入るわけではない。ただ諦めずにそれを手に入れるための行動を起こしていれば、手に入ることもある。前向きな努力をした人生に、後悔はないはずだ。
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