昌子は、来る申し込みを吟味しながらも、自分から積極的に同世代の男性に申し込みをかけていった。男性の年収には目を瞑っても、頑なに年齢にはこだわっていた。あるとき、49歳、年収が1100万の国家公務員の男性からお申し込みが来た。彼女がお見合いするのは、45前の男性ばかりだったので、私は、あえてこの49歳を勧めてみた。
「10歳上だけれど、国家公務員で仕事も安定してしているし、預貯金も資産もあるようよ。結婚後も計画的に貯金をしていけば、お子さんを授かっても育てていくことはできるのではないですか? お会いしてみたらどう?」
ところが、彼女は、きっぱりと断りを入れてきた。
「私には、上すぎます。年収があればいいというものではないし、10歳も上だと、話が合わないと思います」
そして、私の相談所で10カ月活動をし、39歳もあと1カ月で終わるというときに見合いをした同い歳の吉次と、交際3カ月の末に結婚を決めた。吉次は、新宿から電車で1時間半の東京に隣接した県に住み、実家の近くにすでに戸建てを購入している年収500万円の男性だった。
昌子は派遣社員だったので、一旦勤めを辞め、結婚したら新居となる戸建てから通える範囲で、仕事を探すことにした。そして、何よりも「子どもを授りたい」という気持ちが強かったので、成婚退会後すぐに入籍し、吉次の所に引っ越しをして、妊活に入った。
やっと妊娠したのに、9週目で流産
「ただ今思い返せば、両家の顔合わせのときから、お母さんは、私が40歳だったことが気にくわなかったようでした。『(息子が)仕事に明け暮れて、モタモタしているうちにこの年になっちゃったんだから、多くは望めないわね〜。まあ、子どもは授からなかったとしても、夫婦仲良くやってくれれば』って、言ったんです。悪気はなかったんでしょうけど、私は子どもが欲しくての結婚だったので、その言葉にカチンときました」
ただそのときは、“子どもが授かれば、もうイヤミも言えなくなるし、姑も態度をコロリと変えるだろう“と思っていた。
入籍後、時間を無駄にしたくなかったので、夫婦でブライダルチェックを受けた。お互いに目立った問題はなかったので、すぐに不妊治療に入った。不妊治療の助成金が出るのは43歳未満なので、40歳の昌子にはその時間もあまり残されておらず、そこにも焦りを覚えた。不妊治療では有名なクリニックをネットで探し、そこに通院した。
「新婚のときって、休みの日は一緒に買い物に出かけたり、旅行の計画を立てたり、一番楽しい時期だと思うんですね。でも、私の頭の中は、1日も早く妊娠することでいっぱいでした」
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