モノのために「高い家賃」を払うのをやめてみた すべてを「所有」しなくていいという驚きの発見

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もちろん買った金額で売れるわけじゃなかろうが、せいぜい1冊数百円の負担である。それだけで、家がどれだけ狭かろうが半永久的に読みたい本を読み続けられるなら安いものだ。

本は所有しなくていい

いや待てよ……そうだ、間も無く置き場所を失うわが大切な本たちも、この古本屋さんに売れば良いんじゃないか? 何しろご主人とは趣味が似ているのだからきっと買ってくれる。つまりは「このオシャレな本屋さんが、うちの本棚」ってことにしちゃえばいいんである。

また読みたくなったらここに来て買い戻せば良い。つまりは私は本をまるきり手放すわけじゃなくて、歩いて数分の場所に移動するだけ。そう思えばグズグズウジウジする必要なんてどこにもない。

もちろんお店なのだから売れてしまうこともあろうが、自分の愛した本が誰かに気に入られて第二の人生を歩むのならばそれはそれで嬉しいことである。どうしてもその本が必要なら、今時ネットで探せば大概は手に入るんだからどうってことない。

いやー……これは……あまりにも画期的なアイデアではないだろうか?

なるほどそうだよ。考えてみれば私はなぜ、大事なものは自分の陣地(家)の中に抱え込まなきゃいけないと何の疑いもなく決めつけていたのだろう。大事なものだからこそ、自分だけのものにせず皆と分け合おうと考えることだってできるのだ。

例えば、いくら好きな本といったって、実際のところは何年も読まずに本棚に置いているだけというのが普通である。ならば気の合う本仲間がゆるいサークルを作って、皆で好きな本を売ったり買ったりしたって良いではないか(それをうまくシステム化したのが古本屋)。っていうかどう考えてもその方が、読書体験は確実に豊かなものになるに違いない。

何よりもそのように物事を回していけば、モノを保管するためにバカ高い家賃を払う必要もないのである。よくよく考えてみれば、広い家が必要なのはモノの置き場が必要だからだ。同じ家でも、モノがなければ広くなるし、モノを抱えていれば狭くなる。

なのにひたすらモノを檻の中に飼い殺しておくためにせっせとバカ高い家賃を払っている私たち。それってよくよく考えると実は不合理で異常な行動なんじゃないだろうか?

この「古本屋の覚醒」は、ヘレン・ケラーが「ウオーター!」と叫んだがごとく、わが人生を一変させる革命的な気づきとなったのである。

何しろ私はこの気づきによって、「所有」という、資本主義の根幹をなす価値観そのものに疑義を呈したのだ。「所有することは豊かである」という共通認識が資本主義の根本的思想だと思うんだが、私はそれを根本からひっくり返したのである。「所有することは豊かさの元ではなく、貧しさの元かもしれない」のである。

ってことはですよ、私は資本主義を制圧したとも言えるのではないだろうか……なーんて調子こいてるとこいつ狂ったかと思われそうだが、あながちそうとも言い切れないと私は思うのである。

何しろこの新しい気づきの目で見てみれば、家賃の安い小さな家で何も持たずに暮らすことを惨めに思う必要などこれっぽっちもないのだ。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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