日本の近代化を牽引した「有楽町」と駅の存在感

帝国ホテルに帝劇、「最新式電車」が乗り入れ

こうして日本の近代化を牽引してきた有楽町は、開港場として異国の文化を吸収しながら発展してきた横浜と京浜電車でつながった。これによって文明開化の趣はさらに加速したが、昭和に入る頃から劇場街という新たな顔を持つようになる。

有楽町駅界隈が劇場街として発展するきっかけを築いたのが、阪急電鉄の総帥・小林一三だった。小林は宝塚歌劇団を結成し、それを鉄道事業とコラボさせることで新たな鉄道需要を生み出した。小林は阪急の総帥だけあって、その地盤は関西にあった。しかし、私鉄のビジネスモデルを編み出したことから財界の風雲児となり、渋沢が生涯最後の事業に位置づけていた田園調布を手伝う形で東京の地歩を築く。

「今日は帝劇、明日は三越」のキャッチコピーでも一世を風靡した帝国劇場。ただし、帝国劇場の取締役で脚本家でもあった益田太郎が作詞した歌謡曲「コロッケの唄」は「今日は三越、明日は帝劇」と並びが逆の歌詞になっている(筆者撮影)

関西では鉄道事業で大成功を収めた小林は、東京では一転して宝塚歌劇団をはじめとするエンターテインメント事業を興していく。その第一歩が東京宝塚劇場(現・東宝)だった。小林は1934年に帝国ホテルの隣接地に東京宝塚を、次いで日比谷映画劇場をオープンさせた。翌年には有楽座を開場。経営難だった日本劇場も東宝の経営とした。さらに1940年には、経営不振に陥っていた帝国劇場を東宝系列へと組み込む。こうして、有楽町は関西の鉄道王たる小林の手によって劇場街へと変貌を遂げた。

地下鉄開業で交通の要衝に

有楽町の劇場街化は戦後も続き、1963年には日生劇場がオープン。日生劇場は、その名前からも想像できるように日本生命が手がけた劇場だが、当時の社長だった弘世現は近畿日本鉄道の取締役を務めるなど、鉄道とも縁があった。

それまで劇場街へのアクセスは有楽町駅しかなかったが、1964年に営団地下鉄日比谷線、1971年に千代田線、さらに翌年には6号線(現・三田線)の日比谷駅が次々と開業。1972年には有楽町線の有楽町駅も開業し、一気にアクセスが向上する。駅名こそ異なるが、有楽町駅と日比谷駅は近接しており、地下鉄は日比谷駅と有楽町駅間で連絡運輸を実施している。ほぼ同一の駅と言っていい。

有楽町駅前は、その後も新陳代謝を繰り返して今に至る。最近は日比谷方面にも再開発の波が広がり、JR東日本都市開発による日比谷OKUROJIや三井不動産による東京ミッドタウン日比谷といった商業施設も誕生した。

明治前半から文明開化と国際親善という国家的使命を背負い、明治後半からは政治の中枢機能が集積。そして、いまも日本屈指の繁華街としてにぎわう銀座の玄関機能を担う有楽町駅は2021年6月25日に、開業111周年を迎えている。

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