かつて大田区の中心は蒲田でなく「大森」だった 外国人や政財界の大物が愛した高級住宅街

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利用者の往来が激しい大森駅西口だが、駅前広場やバスロータリーなどは整備されていない(筆者撮影)

時代をさかのぼること70年前、1949年の大田区は大いに揺れていた。

大田区は1947年に大森区と蒲田区が統合して誕生。新たな区名は、それぞれから“大”と“田”を一文字ずつとって大田区とした。

大田区の誕生から、わずか2年。まだ特別区に馴染んでいるとは言い難い状況で、大田区は自治権が制限されている特別区から脱して、新たに大田市になることを区議会で議決する。区議会の決議で、大田区は庁内に大田市制施行促進本部を設置。市制施行への準備を進めた。だが、大田区の念願は叶うことなく、今に至っている。

大森は大田区の中心だった

今般、大田区は町工場の街、羽田空港の門前町といったイメージで語られることが多い。それは平成の30年間で強くなったイメージであり、昭和50年代までの大田区はものづくり産業だけではなく、商業地域としてもにぎわい、海苔の養殖なども盛んだった。なにより、高級住宅街が広がる住民自治意識の高いエリアでもあった。

最近では羽田空港による恩恵もあって、区の中心的な役割はJRの蒲田駅・京急蒲田駅一帯に移りつつある。しかし、昭和50年代までの大田区で、街のにぎわいを牽引したのは大森駅周辺だった。大森駅一帯には、ダイシン百貨店(現・MEGAドン・キホーテ大森山王店)や2019年5月に営業を終了したばかりの高級スーパー・カドヤ食品が軒を連ねていた。そうした高級店が並んでいたことからも、往時の一端を窺える。

現在は京浜東北線しか停車せず、大森駅はあまり目立つような存在にはなっていない。しかし、駅開設当初は違った。東海道本線は1872年に開業するが、その4年後に大森駅は開設される。当時、京浜東北線は運行されていない。大森駅に停車するのは、もちろん東海道本線の列車だ。

大森駅が開設された背景には、東海道本線の品川駅―川崎駅間の距離が長く、その中間地点に駅が必要だったことも一因とされる。だが、最大の要因は、大森に東海道本線の建設や保守を請け負う作業員の詰め所があったことだった。

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