かつて大田区の中心は蒲田でなく「大森」だった 外国人や政財界の大物が愛した高級住宅街

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現在、区役所は蒲田駅前にあるので、区の中心も蒲田駅一帯と目されている。大田区役所が蒲田駅前に移転するのは1998年。それまで大森駅の近くに所在していた。

これまで触れてきたように、大森は駅の開設も早く明治期から発展した。また、東京都心部からも近い。そうした理由から、戦後も大森は大田区の中心的な存在だった。

大森駅と蒲田駅が逆転するきっかけは、高度経済成長期にある。大田区内にはものづくりの工場が増えた。一方、大森エリアは羽田空港の拡張によって基幹産業だった東京湾の海苔養殖が壊滅的なダメージを受ける。こうして、大田区の主要産業は交代することになり、区の中心軸は蒲田側へと移る。

区役所移転後も大健闘

そして、大森駅と蒲田駅の立場を完全に逆転させたのが、区庁舎移転だった。旧大田区庁舎は、大森駅から南に徒歩15分の位置にあった。現在、同地にはコンサートホールや図書館といった多機能型複合公共施設の大田文化の森が立っている。

大森駅西口から旧区庁舎までは歩道も車道も細く、すぐに渋滞が発生してしまう。また、駅西口は狭隘な地形のために、バスロータリーを整備することもままならない。駅西側を何とかしようと行政もあれこれ手段を模索したが、狭隘な地形がそれらを阻んでいた。

そして、きわめつけがバブルの崩壊だった。蒲田駅前にあった商業ビルがバブル崩壊の余波で空きビル化してしまう事態が発生。駅前空洞化を防ぐ目的から、大田区が空きビルを取得し、区庁舎として活用することで決着する。

区庁舎が大森から移転したことは痛手だった。古豪・大森駅としては蒲田駅に逆転を許したことに忸怩(じくじ)たる思いだっただろう。しかし、蒲田に庁舎が移転したことが理由で大森駅が衰退したわけではない。相対的に、蒲田駅が伸びたにすぎない。

大森駅の利用者数の推移をみても、東京都心部から近いというメリットが評価されている。2017年度の1日平均乗車人員は約9万6000人。京浜東北線1線しかない駅ながら大健闘している。そこに、庁舎移転による負の影響は見られない。むしろ、都心回帰の影響もあって、利用者は微増傾向にある。

ネックになっていた大森駅西側の開発は、2019年に入ってから区が整備の基本方針を示すなど、新たな動きが活発化している。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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