日本の近代化を牽引した「有楽町」と駅の存在感

帝国ホテルに帝劇、「最新式電車」が乗り入れ

当時の東京は、北へと向かうターミナルに上野駅、西へと向かうターミナルとして新橋(後の汐留)駅といった具合にターミナル駅が行き先別に分散していた。先述したルムシュッテルの構想は、まさに井上と同じ考え方。つまり、井上が率いる外務省も、そして内務省も品川駅―上野駅間の鉄道空白地帯に線路を建設する重要性をはっきりと認識していた。

品川駅―上野駅間を結ぶ計画には、途中駅として中央停車場(のちの東京駅)を開設することが含まれていた。だが、品川駅―中央停車場―上野駅だけでは駅間が長すぎる。品川駅―東京駅間には新たに浜松町駅・烏森駅(のちの新橋駅)・有楽町駅の3駅を設置する計画が立てられた。

現在なら気にならないが、蒸気機関車の時代、この区間に3駅もあるのは逆に駅間が詰まりすぎている。そのため、3駅のうち浜松町駅と有楽町駅は「電車線」の駅とされた。

現在、東京駅発の列車はほとんどが電車になっているのでわかりづらいが、かつて鉄道は長距離が汽車、近距離は電車と役割を分担していた。当時はまだ電車の黎明期だったが、汽車である東海道本線は有楽町駅・浜松町駅には停車しないということが最初から決まっていた。

最新式の「京浜電車」が発着

ルムシュッテルは1894年に帰国してしまうが、同じくドイツから来日していたフランツ・バルツァーが計画を引き継ぐ。バルツァーは品川駅―上野駅を鉄製の高架鉄道で結ぼうと考えていたが、政府は赤レンガ造のアーチ橋で建設する方針を譲らなかった。

有楽町駅周辺のレンガ造の高架橋(写真:ISSA /PIXTA)

鉄製の高架橋は輸入するしか術がないが、レンガ造なら国産で賄える。工費・工期の両面が考慮されて、レンガ造で建設されたようだ。奇しくもレンガ造で建設したことにより、有楽町駅周辺は西洋の趣を濃くした。

こうした紆余曲折を経て、1910年に有楽町駅は開業した。前年には、後の山手線となる品川駅―新宿駅―田端駅―上野駅間の電車が走り始めており、この電車が延伸して開業した。

1914年に東京駅が開業すると同時に、京浜電車(現・京浜東北線)が東京駅―横浜(現・桜木町)駅間で運行を開始。京浜電車は当時としては長距離の電車運転だった。

特筆すべき点は、山手線を参考に2両以上の連結運転を前提としたところにある。しかも京浜電車は架線の電圧を直流600Vから1200Vへと高めて高速化を実現。さらに、集電装置にパンダグラフを初採用するなど近代化も目覚ましかった。また、輸送力を増やすべく、山手線より大きな車両を導入。京浜電車は新技術を詰め込んだ夢のような高性能電車だった。

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