「監視資本主義者」は人類の未来から何を得るのか 「人という天然資源」へと追いやられる私たち
ペイジの見解は、資本主義の歴史を完全に再現している。それは、市場の外にあるものを取ってきて、市場で商品として新たな生命を授けることを特徴とする。1944年、歴史学者のカール・ポランニーは、壮大な著書『大転換』において、自主規制型の市場経済への「大転換」を、概念上の3つの驚くべき発明に起因するものとして説明した。
彼はそれを「擬制商品(コモディティ・フィクション)」と呼んだ。擬制商品の1つ目は人間の生活で、市場力学に隷属し、「労働力」として売買される。2つ目は自然で、「土地」あるいは「不動産」として市場に運び込まれ、商品に変換される。3つ目は交易で、「貨幣」に生まれ変わる。
その80年近く前に、カール・マルクスは土地と天然資源の取得を、近代の資本形成に火をつけた最初の「ビッグ・バン」として描き、「資本の本源的蓄積」と呼んだ。
哲学者ハンナ・アーレントは、ポランニーの説明にもマルクスの考えにも満足しなかった。本源的蓄積は1回の爆発で資本主義を誕生させたわけではなく、社会と自然界のより多くの要素が市場力学に従属するたびに起きている、と彼女は考えた。
「資本蓄積のモーターを永久に回転させ続けるには、マルクスが資本の本源的蓄積と呼んだ原罪を延々と繰り返す必要があった」と彼女は書いている。
略奪による蓄積
このサイクルは、市場のイデオロギーと慣行が支配する現代社会に深く浸透しているため、わたしたちはその無謀さに気づかず、異議を唱えようともしない。たとえば、現在では、人の血液や臓器を「買う」ことができる。
自分の代わりに子どもを産む人、自分の代わりに列に並ぶ人、駐車場を確保する人、悲しむあなたを慰めてくれる人、さらには、絶滅危惧種の動物を殺す権利さえ買うことができる。このリストは日々、長くなっていく。
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