大政奉還も実は緻密な戦略「徳川慶喜」驚く突破力

倒幕に動く薩長を困らせた「先手先手の対応」

慶喜はのちに、このクーデターについて、こう振り返っている。

「予は別に驚かなかった。すでに政権を返上し、将軍職をも辞したのだから、王政復古の御沙汰があるのは当然であり、王政復古にこれらの職が廃されるのもまた当然だからである」

むしろ、慶喜は、大政奉還に反対し、幕府による支配にこだわる勢力を抑えることさえしている。「薩摩、許すまじ」と御所に追撃しようとする幕臣や会桑両藩士らを制止して、大阪に下っていったのである。

薩摩からすれば、なかなかリングに上がってこない慶喜に、またも肩透かしを食らうことになった。逃がしてなるものかと、大久保は小御所で会議を開いて、慶喜の処遇について、こう主張した。

「内大臣の官位を辞してもらい、800万石におよぶ徳川領の返上を命じたい」

厳しい処遇は、慶喜を追い詰めるためだけではない。なにしろ、新政府を京で開いたものの、財政的な基盤もない。旧幕府の広大な領地がなければ何も始まらないため、大久保は新政府の第一歩として、この辞官納地問題から手をつけようとしたのである。

薩摩藩の強硬路線は支持されなかった

だが、徳川家だけに犠牲を求めるのはいかがなものか、という意見が会議では相次ぐ。王政復古のクーデターに賛成した者からも、薩摩藩の強硬路線は支持されなかった。大政奉還を主導した土佐藩にいたっては、クーデターへの参加自体が、内戦を避けるために渋々だったともいわれている。

まさに、この状態こそが、大久保や西郷が、武力による幕府の討伐にこだわった理由だった。穏健的に譲られては、改革派でまとまるのが難しくなる。薩摩藩と同盟関係にあったイギリスからも強硬路線については反対されてしまい、新政府は早くも行き詰まりを見せていた。

慶喜はといえば、大坂城でイギリス、フランス、アメリカ、オランダ、イタリア、プロシアの公使と会見。しかも、いずれも相手側から要求されての交流であり、慶喜はそこで「自分が主権者」とはっきり明言している。

そうして慶喜は、新政府が自滅するのを待ちながら、財政難で苦しくなった朝廷から資金援助を頼まれると、快く献金を快諾。朝廷との関係性を重視しながら、薩摩を打倒するためのアプローチをし始めていた。

結局、また慶喜のペースだ。ところが、潮目が大きく変わる。

そのころ江戸では、薩摩藩邸に匿われる浪士たちによって、庄内藩預かりの新徴組の屯所を襲撃されるなど、挑発行為が繰り返されていた。怒った庄内藩が、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにしてしまったのである。

大坂城に知らせが届くと、会桑両藩兵や旧幕府将士たちは、快哉の声をあげて喜んだ。そして、薩摩討伐へと一気に流れが加速していく。そうして徳川軍と新政府軍は、鳥羽・伏見の戦いで、ついに激突する。

兵力からいえば、徳川軍が負けるはずのない戦いだった。

(第10回につづく)

【参考文献】
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社)
藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』(岩波新書)

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