銀座「文壇バー」ママが語る文豪たちの豪快な逸話 野坂昭如氏はあるとき札束をポーンと…
昭和の名優の豪快すぎる飲みっぷり
昭和の銀座は、文士や出版関係者が行く先々で交流を深める……という文化的親交が盛んにおこなわれていました。銀座という街自体が巨大な文化サロンだったといってもいいでしょう。
私のお店は文壇との距離が近かったのですが、もちろん芸能関係の人々も銀座で遊ぶのがつねでした。あの勝新太郎さんもその1人です。
伝説となっているエピソードがいくつもある勝新さんですが、銀座での飲みっぷりは豪快そのもの。
毎晩のように贔屓(ひいき)の店に出没し、何軒も回られます。店ごとに「お供します」という人が加わるので、最後には10人、20人にまで膨れ上がります。人数が増えればお会計も膨れ上がって当然。勝新さんの贔屓のお店たちはツケ払いが溜まってさぞや大変だったのではないかと、よそのお店ながら案じておりました。
が、ふたを開けてみれば、お店を盛り上げ、居合わせたお客様をすっかりお店の贔屓にしてしまう勝新さんのおかげで、かえって繁盛したそうです。遊び慣れた方ならではの素敵なお話ですよね。
銀座のクラブというと、べらぼうに高いというイメージをもたれる方もいるそうですが、文壇バーはその限りではありません。大企業の接待交際に使われるようなクラブは単価8万~10万円が当たり前。一方、文壇バーにいらっしゃるのは基本的に個人のお客様です。
ときには出版社が社用で使ってくださることもありますが、ほとんどのお客様は企業に属さない作家や芸術家であり、会社員であってもポケットマネーでいらっしゃる場合のほうが多く、高いお金をいただくことはできないのです。文壇バーでは大抵ほかのクラブの半額以下です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら