銀座「文壇バー」ママが語る文豪たちの豪快な逸話 野坂昭如氏はあるとき札束をポーンと…

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野坂昭如先生はサービス精神が旺盛で、いらっしゃるとたちまち場が華やぎます。ある日、野坂先生と黒鉄ヒロシ先生がおふたりで「ザボン」に来られたことがありました。

私はいつもの調子で「先生、お勘定がたっぷり溜まっていますよ!」と軽口でお迎えしたのですが、野坂先生は知らん顔。野坂先生とは普段から冗談を言い合って親しくさせていただいていたので、私としては身内のような感覚だったのです。

が、そんなことがあった後日、野坂先生が店に来られるなり、テーブルに札束をポーンとおかれました。それがなんと100万円!びっくりして、「まあ、このお金、どこで稼いでいらしたの」とうかがうと、「大阪で。ディナーショーで稼いだのだぞ」とおおいにご自慢です。そのときは、うちと「まり花」という文壇バーの大先輩のお店に、一束ずつ置いて行かれたそうです。

なんとも豪華な払い方が、先生らしいでしょう。

港区のマンションを無料で1年提供

野坂先生にはいろいろな思い出がありますが、なかでもとくに先生の優しさが感じられるお話があります。

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いっとき「ザボン」に、アジアの発展途上国から日本の名門大学に留学している女の子がいました。野坂先生はその子のことをとても気にかけて、「1年間、僕の部屋を使っていいよ。家賃はいらないから」と申し出てくださったのです。おそらく仕事用か何かで借りていたものの、あまり使っていないマンションの部屋があったようなのです。

このときの先生は、その女の子といい仲になりたいというようなことはまったくなく(照れ屋な先生は実際にはとても純粋でした)、遠い国から来て働きながら学んでいる子を、何かしらの形で援助したいという思いでした。なにしろ人柄のいい野坂先生らしいお申し出だったと、今振り返っても思います。

そのときの私は、ありがたいお話とは思いつつも、奥様がどうお考えになるかが気になって、「先生、本当によろしいのでしょうか。きちんと家賃もとれる部屋なのに、無料なんて申し訳ないし、もったいないじゃないですか」と言うと、「いや、僕がいいと言うんだからいいんだ」と、きっぱり。

その女の子は大変喜んで、港区のサントリービルのすぐ横にあるマンションの一室に、1年間、無料で住まわせていただきました。家賃の高い東京です。「ザボン」のお給料も銀座の中ではあまり高くありませんでしたが、先生のおかげで1年間の日本の大学生活を終え、彼女は元気に本国に帰っていきました。

こんな人情話が山ほど詰まっているのも文壇バーの特徴です。人生を学びたい方、こんなお話がお好きな方は、ぜひ一度当店へお越しいただけたら嬉しいです。

水口 素子 文壇バー「ザボン」店主

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みずぐち もとこ / Motoko Mizuguchi

鹿児島県出身。昭和48年銀座の文壇バー「眉」にてデビュー。53年に独立し「ザボン」をオープン。丸谷才一をはじめとして、数々の作家が集まる文壇バーとなり、芥川賞選考会後には受賞者をむかえて祝賀会が開かれる店として知られる。大岡信が始めた月に一度の「歌仙の会」は、今も「ザボン」を会場として行われている。

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