北の湖も輩出「相撲王国・北海道」が凋落した理由 道産子力士の幕内優勝は1991年の北勝海が最後
象徴的な例がある。夕張市だ。炭鉱で賑わっていた昭和時代、夕張出身の関取が5人も誕生した。昭和40年代には大雪、若吉葉、朝登と同時に3人の関取が番付に名を連ねていた時期もあった。炭鉱で賑わっていた昭和30年代には人口が約12万人まで膨らみ、相撲が盛んで炭鉱ごとに相撲部があったという。
「昭和のころの記録を見ると、炭鉱会社が主催して大相撲の巡業が開催されたこと、神社で奉納相撲が行われたこと、小中学校の校庭に土俵があったことなどが記されています」(夕張市教育委員会の関係者)。炭鉱の街に相撲文化がしっかりと根付いていたのだ。
しかし、夕張市は2007年に財政再建団体に転落。観光振興に欠かせない存在だった「夕張リゾート」は今年2月、破産手続きを開始している。現在の人口は7302人(3月末現在)と、最盛期の16%にまで減ってしまった。
夕張出身最後の関取は麒乃嵐(1991年廃業)。5月場所現在、夕張出身力士は幕下の北大地と三段目の北洋山の2人となっている。両力士には、夕張の相撲文化を継承していくためにも奮闘してもらいたいものである。
子どもが育つ環境も変化
さらに「子どもたちが育つ環境の変化」を原因に指摘する声も出てきた。
横綱・大乃国(芝田山親方)は少年時代、長時間の徒歩通学と実家の牧畜や農作業を手伝うなかで、足腰が鍛えられたと伝えられている。横綱・千代の富士は海に面した町で漁師の家に育った。
あるインタビューに「夏休みは夜が明けたら出かけて暗くなるまで遊んでいた」「船に乗ったりもした」と語っている。大自然の中で遊び回り、漁を手伝うことで自然と体が鍛えられたのだろう。
また、日本相撲協会の八角信芳理事長が、北海道のメディアのインタビューの中で興味深い発言をしている。
少子高齢化、過疎化が進む中で、札幌を中心とした都市圏への人口流入が続き、大自然のなかで暮らす子どもたちの数が減っていることも、体力・精神両面に影響しているのかもしれない。
なお、全国的な傾向として言えることだが、小中学生の体力は30年前と比較し低下。そして雪国という北海道の土地柄もあって、北海道の小中学生の体力テスト結果は長く全国下位の水準に甘んじている。
「1週間当たりの運動時間が60分未満の割合が全国平均よりも高いこと、スクリーンタイム(テレビやスマホなどの画面を見ている時間)が全国平均よりも長いこと、さらに肥満傾向児出現率が高いことが背景にある」(北海道教育庁健康・体育課の担当者)という。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら