社長追放でも残る セイコー名誉会長の影

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 明治14(1881)年の創業以来、セイコーHD(旧・服部時計店)では創業家出身の社長が5代続いた。和光設立(1947年)に携わった禮次郎氏は、第5代社長(83~87年)を務め、長年、セイコーグループの舵を取ってきた。経営者としての先達であり、叔父である禮次郎氏と養子縁組までした真二氏の思い入れは強い。

しかし同社を取り巻く状況は、それほど甘いものではなかった。主力の時計事業は長期低迷。昨年10月に100%子会社化したセイコーインスツル(電子部品等製造)の利益で、営業黒字を賄っている状態だ。本業の低迷だけでない。長年の不透明経営に反発した子会社の労働組合(セイコークロック・プレシジョン労組)から、「提訴請求書」を送りつけられるという異常事態にも陥っていた。

「うつ状態が50人」 決断を迫った報告書

労組はセイコーHDの株式1000株を有する株主としての立場から、当時の経営陣5人に対し計40億円の損害賠償を請求していた。「不透明な人事及び不安だらけの経営施策と経理処理」というのがその理由だ。提訴請求書では、「取締役・鵜浦典子のパワーハラスメントは社内では公然の事実」「和光並木館の新築など、年商を大幅に上回る投資の合理性について適切な精査をしたのか」と、危機感をあらわにした。

責任を追及された経営陣には、副社長だった真二氏も含まれる。会社法に基づき、監査役が60日以内に訴訟を行わない場合、労組は6月の総会開催直前を狙って、株主代表訴訟を起こすつもりだった。

労組が指摘するように、確かにここ数年、不透明と言っても差し支えない人事が頻出している。下表に示した人事異動はその一部だ。


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