日本人が知らない「大麻」が違法薬物になった理由 栃木県の大麻農家を訪れる昭和天皇の写真も

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この法律の最も大きな問題と考えられる点を紹介します。それは、通常の法律は「総則」の冒頭に制定の「目的」が書かれるのですが、なぜか大麻取締法にはこの目的が書かれていないまま70年以上が経過しているという点です。

このため、そもそも農家を保護するための苦肉の策だったものが、いつの間にか大麻事犯を取り締まる法律へと変化しているのです。

また、日本が主権を回復した際には、大麻取締法の廃止が前提条件となっていました。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効され、日本の主権が回復し、占領時の法制について再検討が行われます。大麻取締法の廃止は優先順位が高く、内閣法制局は少なくとも栽培免許制の廃止を行うよう働きかけました。厚生省も同様に取締法の廃止の必要性を認めていたものの、決定には至らず、見送られることになったのです。

ここまで、大麻取締法が制定されるまでの流れを時系列で追いかけました。強調しておきますが、大麻取締法は本来、「農作物としての大麻」を守り抜こうとした結果でもあるのです。

大麻取締法が制定された1948年、大麻栽培の免許取得者数は2万3902人でした。その数は意外なことに年々増加し、1954年には3万7313人となっています。増加の要因は戦後の復興需要に伴うもので、1950年に発行された『実験麻類栽培新編』によると、当時の大麻繊維の利用先は下駄の芯縄52%、畳経糸32%、漁網12%、荷縄4%でした。

ターニングポイントは「1961年」の国連条約

しかし、1954年を境に免許取得者は減少に転じ、1964年には7042人、1974年には1378人まで激減。その要因は高度経済成長期の生活スタイルの急激な変化です。化学繊維の普及も進んだことから、それまでは大麻でなければ担えなかった需要が、急速に失われていったのです。

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また、この間の国際的な動きに、1961年に国連が採択した「麻薬に関する単一条約」があります。この条約で大麻が指定されたことから、世界的に大麻への規制圧力が高まりました。日本がこれまでに大麻取締法を廃止できなかった大きな理由は、この条約にあります。

農作物としての需要が激減するなか、1960年代には欧米を中心にベトナム戦争への反対運動などを契機としたヒッピー文化が隆盛し、マリファナ喫煙が流行しました。その影響は大麻を喫煙する習慣がなかった日本にも波及しました。

大麻農業の保護を目的として制定された大麻取締法はいつの間にか「違法な薬物」を取り締まるための法律として機能するようになりました。そして、農作物という側面が忘れ去られた大麻は「ダメ。ゼッタイ。」な存在へと変わっていったのです。

大麻博物館
たいまはくぶつかん / Taimahakubutsukan

一般社団法人。 2001年に栃木県那須に開館。 日本人の営みを支えてきた農作物としての大麻の情報収集や発信を行なうかたわら、各地で講演、「麻糸産み後継者養成講座」などのワークショップを開催している。著書に『大麻という農作物 日本人の営みを支えてきた植物とその危機』『麻の葉模様 なぜ、このデザインは、八〇〇年もの間、日本人の感性に訴え続けているのか?』(ともに自費出版)などがある。

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