「プライドを手放せない人」が年々つらくなる必然 弱みを弱みとしてきちんと認め心を軽くする法
まず、明確にしておくべきことが1つあります。それは、自分にとっての「弱みとは何か」ということです。
人にはそれぞれ「弱み」があるものです。それはきっと、人には知られたくない素顔、性格、事実、過去だったり、おそらく無数にあることでしょう。
しかし、それらの「弱み」を作りだしている根本的なものの正体とは、一体何なのでしょうか。
「弱み」という名の「プライド」
それは、今の自分を守りたい、かわいく思いたいという「プライド」なのではないでしょうか。こうなると、話は簡単です。この「プライド」を捨てるなり、手放すなりすればよいということになります。
しかし、それができたら誰も苦労しないはずです。
大事なのは、ここからの「プライド」の受け止め方です。
私は、「プライド」は大事だと思います。それがあるからこそ「生きる」ための活力が生まれるからです。
一般的には「プライド」は否定的に捉えられることが多いと思いますが、長年にわたり蓄積されてきた「プライド」に関していえば、守るべきものだと私は思います。
そのうえで受け止めるべき事実もあります。それは、すでに自分の「弱み」という名の「プライド」は家族や近い関係にある方々には周知のことだということです。
自分では必死に隠してきたつもりでも、とうの昔にバレており、実はもう今さら隠しようがないのです。
これは換言すれば、「弱み」をひっくるめた存在として、その人が認められていることになります。このことを事実として受け止めると、少し気持ちが楽にあるではないでしょうか。
肩に力を入れて、無理に「弱み」を見せまいとしたり、変に周囲に気を遣わなくてもいいのです。大前提として、今の自分のままで安心していいのです。