換言すれば、国家安全保障戦略が不可欠なように、国家経済安全保障戦略も不可欠であるはずで、内閣官房の国家安全保障局内の経済班といった位置づけではなく、権限を強化し、地経学的戦略を統括する組織があってしかるべきだと思います。
加えて、経済通商問題に特化した情報機関を創設し、ワシントンや北京の動向をいち早く察知し、予測される事態に備えるという態勢を作ることが、今後は必要だと考えます。
繰り返されてきた日米の軋轢
船橋 洋一(以下、船橋):日本の採るべき戦略は、「自由で開かれたインド太平洋構想」を肉付けし、それを推進するクワッド(日米豪印の4カ国協調)という枠組みの構築となると思います。それを実現するために各国の政策協調のあり方とそれぞれの役割分担を明確にしていく必要があるでしょう。その際、そのすべての中核であり土台である日米同盟をどのように維持、発展させ、経営していくかという同盟の進化を目指すことになるでしょう。
日米同盟は何度も試練に直面してきました。1970年代のニクソン・ショックと石油危機、1980年代の東芝ココム事件(東芝の子会社が、ココム[対共産圏輸出統制委員会]が禁止する工作機械を輸出したことにより、ソ連の潜水艦技術を進歩させたとして、東芝がココム協定違反に問われ、日米の政治問題に発展した)、1990年代初頭の湾岸危機・戦争、2000年代の民主党鳩山政権下での東アジア共同体構想、2011年の福島原発事故など、日米関係が大きく揺らいだこともありました。
ニクソン大統領の中国訪問決定は、事前に日本に知らされなかった電撃的な“頭越し”外交でした。背景には繊維の対米輸出規制を巡ってニクソンが佐藤首相の“約束違反”に対して抱いた強い不信感がありました。ココム事件では同盟国の日本の企業が“抜け駆け”してソ連にこっそり技術を売ったことが厳しく批判されました。
湾岸戦争の際はブッシュ(父)政権から「ショウ・ザ・フラッグ」、つまり、日本も多国籍軍の一員としてイラクに兵隊を送れと迫られました。“安保ただ乗り論”批判ですね。東アジア共同体構想は、日中が裏で手を組んで“アメリカ抜き”のアジア主義を企んでいるとの疑念をオバマ政権に抱かせました。また、福島の原発事故では、国家的危機に直面した日本政府の“当事者能力欠如”を疑われる場面もありました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら