4月16日の日米首脳会談では、いわゆる「お土産」も必要になるだろう。バイデン大統領が主催する気候変動サミット(22-23日)では、日本としてもCO2削減で踏み込まねばならないし、ワクチン関係では資金の拠出も求められる公算が高い。東京五輪開催への協力を求めることも忘れてはならない。しかし本命の議題は、重い安全保障問題なのである。
ところで東日本大震災から半年後の2011年8月、当時は副大統領だったバイデン氏は被災地の宮城県を訪れ、米軍の協力で再開が可能になったばかりの仙台空港で演説を行っている。このときの随行者に、当時は副大統領補佐官であったトニー・ブリンケン氏が居た。それが今回は、国務長官となってアメリカ外交の司令塔となっている。
このときの訪日は、バイデン副大統領が中国を訪問した帰途であった。胡錦濤国家主席と習近平副主席から招待を受けて訪中し、習副主席との関係を深めた後なのである。
10年前の夏には、アメリカと中国の「ナンバーツー同士」が交流していて、ブリンケン補佐官はその場にも居合わせていた。そして習近平氏はその翌年に総書記に就任し、権力基盤を固めて今日に至っている。来年には前代未聞の3期目を目指すと目されている。
他方、バイデン氏はどうだったかというと、2期8年を務めた副大統領としてはめずらしく、「その上」を目指さなかった。2015年には最愛の長男を脳腫瘍で失い、ほとんど政治生命は終わったとみられていた。ところが諸般の事情で2020年の大統領選挙に出馬することとなり、強敵の現職・トランプ大統領を倒してしまった。そして今度は合衆国大統領として、再び習近平国家主席と向かい合っていることになる。
バイデン氏はオバマ大統領を冷ややかに見ていた?
バイデン政権の「最初の100日」を振り返ると、「オバマ時代への反省」を強く意識しているように見える。ARP法が1.9兆ドルという巨額に膨れ上がったのは、2009年のアメリカ再投資法(7870億ドル)が小さすぎたという反省があるからであろう。国内向けのアピールも足りなかったと考え、カマラ・ハリス副大統領とともに念入りに中身を宣伝している。
そして外交政策においては、初期のオバマ政権が「G2論」を掲げて対中融和姿勢に出たことが、結果的に中国を増長させてしまったという思いがある。その思いはブリンケン国務長官、サリバン国家安全保障担当補佐官などが共有している。
今から約10年前、バイデン副大統領とそのスタッフたちは、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったオバマ大統領を、意外にも冷ややかに観察していたのかもしれない(本編はここで終了です次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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