「両親は『頑張ってね』と泣いて私を見送りましたが、私も両親もまさか次にお互いの顔を見ることができるのが、約4カ月半も先になるとは想像もしていませんでした」
入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。
ベッド上に寝たままで勝手に動かないように
入院後、Aさんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。ベッドサイドに腰掛けることも認められない。また個室内の衝立(ついたて)のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。
つまりAさんが自由を許されたのは、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。
同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。揚げ物の衣の油がきつく、できれば食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。
「主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」
テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、Aさんの病院と主治医への不信感は高まっていった。入院から約1週間後、Aさんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。
駆けつけた主治医に、Aさんは思いの丈をぶつけた。「ほかの精神科へ転院させてください」「それが無理なら小児科病棟に移してください」。主治医に却下されると、最後の希望をかけて、「私は任意入院だと聞いています。権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」と訴え、出ていこうとした。
そのAさんに主治医から非情な一言が告げられた。
「ああ、今から医療保護入院になるから、それは無理だよ」
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