徳川家康を今の日本へ蘇らせた物語が持つ意味 個性的・多彩な登場人物を使って描かれたこと

まず、最初に白状しておくべきことがある。
『ビジネス小説 もしも徳川家康が総理大臣になったら』(眞邊明人 著、サンマーク出版)というタイトルを見たとき、そして序文にざっと目を通したとき、(やや否定的な)戸惑いを感じてしまったことだ。
しかし、それは無理もない話ではないだろうか? なにしろタイトルからも想像できるように、“設定”がぶっ飛んでいるのである。
2020年の日本を模して描かれた物語
舞台は、江戸幕府の創立から420年を経た2020年の日本。すなわち他国と同様に、新型コロナのパンデミックによる多大なダメージを受けていた昨年を模して描かれた物語だということになる。
この物語上の設定となるが、台湾や韓国と違ってSARSやMERSを経験していない日本は、感染症の初期対応を誤ってしまう。それどころか政府は総理官邸でクラスターを発生させる。
新型コロナ対応の現状を鑑みると、決してありえない話ではないともいえるかもしれない。とはいえ、なかなかショッキングなオープニングではある。
いずれにしてもそれは前代未聞の事態であり、必然的に国内には政治への不信感が充満。日本は、修復不可能なほどの混乱の極みに達するのである。
しかし、本当の意味で強烈なのはこれ以降の展開だ。なにしろ序文には、こんなことが書かれているのだ。
そこで選出されたのは、徳川家康、織田信長、大久保利通、豊臣秀吉、徳川綱吉、足利義満など、あらゆる時代の荒波をくぐり抜けてきた錚々たるメンバーであった。
つまり本作は、徳川家康率いる“最強内閣”が、「コロナという予測不能な事態を収束させ、政府の信頼を取り戻す」という壮大なドラマなのである。
極論ではあるものの、「AIだから」ということにすれば、いかなる矛盾も克服できてしまうだろう。したがってツッコミどころもないとはいえないのだが、そんなことを指摘するのは野暮というもの。読み進めていくと、“その先”にあるものの実態がおぼろげに見えてくる。
いわばそこに、前代未聞というべきこの作品の存在意義があるということだ。
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