なぜタクシーに?外国人運転手の興味深い素顔 資格取得だけでなく求められる能力も高い

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父であるフィリップ・ワルインゲさん(76)は東京、メキシコ、ミュンヘンで3度の五輪に出場し、2度のメダルを獲得したケニアスポーツ界のレジェンド的存在だった。1970年代には「ワルインゲ中山」のリングネームで日本でも活動している。4度の日本王座を防衛しており、記憶しているオールドファンも多いのではないか。

母国の英雄の背中を見て育った少年にとって、父と同じ日本の地から世界を目指すという選択は自然な流れだったのかもしれない。それでも、日本語をほとんど話せない27歳のケニア人が、ジム住み込みでチャンピオンを目指すという道は想像以上に過酷だった。

「日本に来てまず驚いたのは物価の高さ。ケニアで住んでいたのは街中に野生動物がいるような場所でした。ケニアと東京の大きすぎるギャップに慣れず、当初は戸惑いましたね。ボクシングだけでは稼げないから、ALT(外国語指導助手)や英会話教室などいろんなバイトして食べていた。

ジムの米倉健司会長には本当にお世話になって、生活もサポートしてくれました。それでも、なかなか試合ができないという葛藤もあり、ボクシングへの気持ちが次第に離れ、33歳の時に生活のために引退しました」

関心を持ったのはテレビ番組がきっかけ

引退後は埼玉、神奈川県などでの地を転々とした。私生活では34歳の時に、埼玉の英会話教室で知り合った日本人女性と結婚をしている。ボクシングから離れると、英会話教室やALTの仕事で生活に困ることはなかった。それでも、漠然と何か新しいことに挑戦したいという気持ちは膨らんだ。

タクシーの仕事に関心を持ったのは、ふと目にした『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京)が契機となった。日の丸交通で働くドライバーに密着した同番組を見て、外国人でもタクシードライバーになれるのか、と心を奪われた。英語の採用ページから応募したのは、2020年春のことだ。

ワルインゲさんは取材の中で流暢な日本語を操っていたことが印象に残った。それでも、日本人ドライバーでも苦労する地理試験や運転への慣れには時間を要している。

「地理試験、法令、二種免許の学科。表記はすべて日本語で、とにかく問題が難しかった。研修も含めると、半年くらいは勉強したから(笑)。それでも会社が全面的にサポートしてくれて、外国人の同僚もいろいろ助けてくれた。ドライバーのLINEグループがあって、そこでもいろいろ情報共有ができたし、特にイギリス人、スイス人、フランス人の同僚は親切だった。振り返ると彼らの助けが大きかったですね」

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