笑いが人間だけの特権に見えてそうでもない訳 ヒトは独自に進化したが類人猿にもそれはある
先日、知人から個人的な相談を受けた。プライベートで問題に直面しているようで、だが話を聞く限り、それは私のような他人がどうこう口出しできるものでもなさそうであった。
とはいえ助言を求められるし、こちらとしても助けにはなりたいので、思いを次々とぶつけてみた。ところが決定的な答えには行き着かず、そもそも“答え”などがあるはずもないのだから、ほとほと困り果てた。
だがそんな折り、ふと口にしたことばがひとつの突破口になったのだった。
「もう、笑い飛ばせばいいんじゃないの?」
どのみち正解などないのだし、暗く重たく考えたら、さらに気持ちは沈んでいくだけ。だったら「なんなんだよ、この状況?」と笑ってしまえば、度胸もつくし進むべき道も見えてくるかもしれないということだ。
意外やそれが響いたようで、「確かに笑い飛ばすくらいの気持ちでいれば、いずれ答えも出るだろう」と、話には一応のメドがついた。その結果、なぜかおかしくなってきて、顔を見合わせて笑ったりもした。
たまたま目にした『なぜあの人のジョークは面白いのか?:進化論で読み解くユーモアの科学』(ジョナサン・シルバータウン著、水谷 淳 訳、東洋経済新報社)に関心を持ったのも、そんな出来事があったからだった。
“たまたま”笑いでひとつの話がまとまったから、「やはり笑うことには意義があるなあ」と感じただけのことである。
人間の脳には間違いを見つける専門領域がある
だが、それがきっかけで「笑い」の深みを改めて実感し、それがジョークやユーモアへの興味に結びついていったのも事実。たとえば妙に納得させられたのが、“おかしさ”と“間違い”をひもづけている冒頭部分だった。
こう論じられると、ますますジョークやユーモアのことを知りたくなってはこないだろうか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら