待鳥:もう1つ大事なこととして、いい政治家を選べばいい政治をしてくれるだろうという発想は、代議制民主主義との相性が意外によくないということです。民主主義体制を安定させるには、平均的な人であっても、きちんとした手続きや議論を踏んでいけばいい政策が生みだされるよう仕組みをデザインすることが重要なのであって、いい政治家だからいい政治ができているというのは、偶然にすぎないのです。偶然で政治は安定しません。政党は、偶然でない形でいい政策を生み出す手段でもあります。
デジタル化やグローバル化がもたらす「圧」
須賀:現在、問題とされている分断も民意に基づいていることでもありますよね。社会として、合意を取り戻していくためにはどのようなことが重要になるのでしょうか。デジタルテクノロジーはそのような社会合意をつくり出すために、役割を果たすことができますか?
待鳥:デジタルテクノロジーには高い可能性があると思いますが、デジタルに限らず、こういった新しい技術は、きちんと活用しようとする人にしか役に立ちません。ここが難しいのです。今起きている分断は、技術を活用しようとする人と活用する気のない人の分断でもあります。技術を活用する気のない人に、デジタル技術がありますと訴えても、あまり効果はないですよね。社会が大きく変わろうとしている中で、そのような人に対してどう向き合うべきかは重要な問題であります。
また、より広い視点から現在の分断を分析するならば、それは150年以上続いてきた国民国家と、現代のグローバリゼーションの不整合が生み出した分断でもあると思います。国家という枠組みの中に国民がいて、その国民は同じ教育を受けて、生活水準も比較的近く、同じ文化の中で暮らし、同じ言葉を話すことが想定される。
つまり国民全員が同じなんだというフィクションがメディアなどを通じて共有されたうえでさまざまな物事が決められてきたわけですが、グローバル化はそのような前提を崩していく方向に進んでいます。デジタル化をその中にどう位置づけるかも、今後にとって大きな意味を持つはずですが、今のところは圧倒的にグローバル化と結びついています。
20世紀の国民国家は人々に対する「圧」が強く、ネガティブなイメージが強かったと思います。そういった社会状況の中で、1990年代以降に起こったデジタル化やグローバル化は、国民国家の「圧」を解放してくれると期待されていました。実際に起こったことは、確かに国民国家の「圧」はなくなったのかもしれないが、別の種類の「圧」がきてしまったということだと思います。このような状況は決していいことだとは言えませんし、国民国家に代わって、デジタル化やグローバル化が別の「圧」をかけている現状に、今後どのように向き合っていくかは、非常に困難な問題です。
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