そもそもキヨタカさんの働きぶりはどのようなものだったのか。
勉強も運動も「上位クラスだった」というキヨタカさん。大学卒業後、最初は住宅関連の営業社員として働き始めた。しかし、営業成績はつねに最下位。取引先では製品の説明をしているつもりが、いつの間にか自分の身の上話や、その時々に仕入れたうんちく話になっていることがしょっちゅうあったという。
「頭に浮かんだことをぺらぺらとしゃべりだすと、止まらない」――。その後も何度か営業職に就いたが、結果は同じ。取引先からはたびたび「君が何を言いたいのか、さっぱりわからん」と言われたという。
話がまとまらず、話題がポップコーンがはぜるようにあちこちに飛んでしまうのはADHDの典型的な特性のひとつで、「ポップコーン現象」とも言われる。バーテンダーや整体師として働いたときも、こうした特性が災いした。キヨタカさんの目から見ても、明らかに常連客が顔を見せなくなり、自分を指名する客だけが断トツで少なかった。当時、バーのママからは「(バーテンダーは)聞き役に徹することが一番の仕事やで」と注意されたが、このときは意味がわからなかったという。
いわゆる営業トークが不得手だと意識すると、今度は緊張してしまい、それを紛らわすためにお酒を飲んで仕事に臨んだこともあった。ただこれは当然逆効果。ポップコーン現象に拍車がかかっただけだった。
こじれがちな人間関係、何度もひきこもりに
一方でキヨタカさんは子どもの頃から絵を描くのが得意だった。10時間近く一心不乱に戦隊もののヒーローなどの絵を描き続け、作品は周囲の大人からもよく褒められた。しかし、こうした芸術面でのセンスは仕事をするうえではマイナスにしかならなかった。庭木の剪定の仕事をしていたときなどは、出来栄えになかなか納得がいかず、同僚らが3本、4本と片付ける間、キヨタカさんは1本しか仕上げることができなかったという。
人間関係もこじれることが多かった。例えば、キヨタカさんはごちそうになったり、おごられたりした際にお返しをすることの意味が理解できなかった。介護職場での夜勤や、林業の現場でのお昼ご飯のとき、キヨタカさんはよく弁当を忘れた。そのたびに先輩や同僚がカップラーメンや自分の弁当を分けてくれたが、キヨタカさんは一度としてお返しに何かを渡したり、買ったりしたことがなかったのだ。そのことについて嫌味を言われても理由がわからず、職場では孤立しがちだったという。
そして仕事を辞めるたびに落ち込み、何度もひきこもり状態に陥った。ひどいときは2年近く自室に閉じこもり、このときは排せつもペットボトルの中で済ませたという。久しぶりにコンビニで買い物をしたとき、声帯の機能が衰えていて「ありがとう」という言葉を発することができず、ショックを受けたことを覚えているという。
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